2014年12月03日 公開
2023年01月30日 更新
朝早くから夜遅くまで、猛烈に働き続けた柴田励司氏。
努力の甲斐あって、38歳の若さで外資系人材コンサルタント会社の日本法人社長に上り詰めた。
だが、そこで待っていたのは過労と不摂生による肉体の限界。
それを乗り越え、柴田氏がたどり着いた「自分をいたわりつつ成果を出す」方法とは。
<取材構成:西澤まどか/写真撮影:永井浩>
柴田氏は、マーサー・ヒューマンーリソースーコンサルティングの日本法人(現・マーサージャパン〔株〕)社長だった当時、朝7時から夜11時まで、寝る間も惜しんで働いていた。そんなある日、身体に異変を覚えた。電車での移動中に手足が冷たくなり、床に崩れ落ちたのだ。
病院での診断は、脳梗塞。幸い、早期に処置したため後遺症もなく回復した。この経験が、働き方を見直すきっかけとなった。
「それまでは、すべての会議に出席し、メールはCC(同報)も含めて誰よりも早く返信。すべてを細部にわたって掌握しようとしていました。今振り返ると、メリハリがなく、ダラダラとした働き方です。
それに、気合いを入れると言っては肉ばかり食べていました。朝はハンバーガー、昼はカツ丼、夜は焼き肉といった具合です。定期的に運動もしていなかったため、高脂血症となり、脳梗塞になるのは当然の成り行きでした」
40歳で倒れてから、疲れを溜めず、健康維持に努めてきた。食事や運動など、ライフスタイルを見直すと同時に、働き方のマインドも大きく転換した。疲れを溜めないためには、“自己保身”から抜け出すことと“計画的に”休暇を取ることだと言う。
自己保身というマインドは、“疲れ”とは関係がないように思える。だが、このマインドこそが、疲れを蓄積させる要因だったと柴田氏は振り返る。
「倒れるまでは、どこか自分を良く見せようと頑張っていました。入社後わずか5年で、先輩たちを差し置いての社長抜擢。自分は他人より能力が高いことを見せたいと、どこか突っ張っていたのだと思います。だから、すべての会議に出て、そして体力を維持しようと肉ばかりを食べる。悪循環でした」
他人から評価されたいという気持ちは、労働時間だけではなく、部下との関わり合い方にも悪影響を与えていた。
「ホテル勤務時代から、あだ名は“瞬間湯沸かし器”。怒ると、それが顔や態度にすぐ出てしまうからです。
昔、ある会議に出席した際、怒りで血圧が上昇し、突発性難聴になって病院に運ばれたこともあるくらいです。
社長になってからも、モノを投げる、怒鳴り散らすなど、日常茶飯事でした」
今なら、部下に対して頭ごなしに怒っていた背景に、恐怖心が潜んでいたと分析できる。
「管理職なら毎日経験していると思いますが、たとえば部下が失敗して、損害が出たとします。失態そのものへの腹立たしさ。そして、失敗するような人に仕事を任せた自分への悔しさ。今後起こることへの恐怖……。一連のネガティブな感情が湧き出てきます。
その裏には、『自分の立場を守りたい』という気持ちがあるのです。自分を守ろうという呪縛から抜け出すと、仕事がラクになりました」
自分へのこだわりがなくなった今は、部下を主体にして仕事を進められるようになった。
「倒れる前の私は、“求心型”のリーダーでした。『俺について来い!』と牽引するタイプです。いわば、『You Work for Me』。自分のために、みんなを働かせていたのです。全部の会議に出ようとするから、自分が遅れるとみんなを待たせてしまう。みんなを振り回す働き方だったのですね。
今は“遠心力型”マネジメントへ変えました。『I Work for You』、みんなのために私か働く、というスタイルです。その結果、スタッフとの心理的な距離が縮まり、彼らのほうからさまざまな働きかけをしてくれるようになりました」
出なくてもいい会議は部下に任せ、CCメールにも反応しない。3カ月間、七転八倒の末に、“自己保身”から抜け出せたと言う。
「今は自分がするべきことに専念できますし、休みには今まで以上にインプットができます。仕事一辺倒だった時代に比べ、アウトプットのクオリティが上がっています」
自身の経験も踏まえて、柴田氏は、仕事で疲労感を溜めるビジネスパーソンに“自己保身”からの脱却をアドバイスする。
更新:11月22日 00:05