2016年09月01日 公開
2024年12月16日 更新
経営学者ピーター・ドラッカーは、1969年に出版した著書『断絶の時代』で、「今日の経済発展の範とすべきは、米ソその他の白人国ではなく、日本である」とし、日本を経済発展させた二人の起業家として岩崎弥太郎と渋沢栄一を挙げている。そして、経済発展に必要なものとして「岩崎は資金を説いた。渋沢は人材を説いた。/今日では、二人とも正しいことが明らかである」とする。
渋沢の考えでは、資本は多くの人から集めるべきであり、経営も優秀な人材を集めて行なうべきである。だから、人材育成に重点を置く。一方の岩崎は、利益も損失も社長の一身に帰すると考え、三菱財閥を形成して資本の蓄積に努めた。ドラッカーはどちらも正しいと言うが、考え方の違う二人は反目した。
二人が対立した最たる例が、海運業を巡る争いである。海運業は郵便汽船三菱会社の独占状態にあったため、顧客は三菱が決めた運賃に従わざるを得なかった。そうして得た利益を金融や炭鉱、鉄道などに投じて蓄財していると、世論は三菱を批判していた。そこで渋沢は、1882年、榎本武揚らとともに共同運輸会社を設立。両社は激しく競い合い、ダンピングを繰り返して共倒れしそうになる。結局、政府が介入し、両社が合併して日本郵船となることで決着するのだが、渋沢が私利私欲のためにビジネスをしていたのではないことがよくわかるエピソードだ。
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岩崎弥太郎(1835~85) 三菱グループ創始者 >
更新:01月19日 00:05