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「働き方改革」は巧妙な国家戦略 佐藤優が暴く、給料激減と“死ぬまで労働”の真実

佐藤優(作家)

佐藤優氏は、「働き方改革」の目的は生涯労働による国力維持だと説く

「働き方改革」により残業時間は制限された。しかし政府が主導するこの改革の真の目的は、決して労働者への「人道的配慮」ではないという。知の巨人・佐藤優氏が、働き方改革の残酷な真意を読み解き、私たちが「自分時間」を取り戻すための生存戦略を提示する。

※本稿は、佐藤優著『残された時間の使い方』(クロスメディア・パブリッシング)より一部抜粋・編集したものです。

 

テクノロジーが進化しても労働時間は減らない

マルクスは人間が人間らしく生きるために、さらに言えば資本の中で奴隷的に働く存在から解放されるために、「自由時間」が必要不可欠なものであると力説しました。

自由時間こそ、人間が自分の意志で主体的に時間を使い、創造性を発揮することができる時間です。
逆に言えば、主体性や創造性を発揮するには「自由時間」が必要不可欠であるわけです。

マルクスは自由時間を確保するには、労働時間の短縮が不可欠だと主張します。そして、テクノロジーが発達し生産力と生産性が向上することによって、それが実現できると考えました。

ただし現実は、そのようには進んでいません。
機械が登場し、さらにテクノロジーが進化して、いまやAIが様々な場面で人間に取って代わろうとしています。それでも労働時間が一気に短縮されるという事態にはなっていません。

実は、これもすでにマルクスが見抜いていたことです。
テクノロジーによって生産力が上がっても、資本家はその富を分配するどころか、さらなる剰余価値を求めて労働者を働かせるだろう、と。

結局、資本主義の下では、機械生産による労働時間の節約は、労働者の自由時間の増大につながらないのです。資本の論理に任せていたら、どれだけテクノロジーが発達しても、休みも自由時間も増えません。

どのような状況であれ、資本主義のもとでは剰余価値=利潤を極大化するために、つねに労働時間を延長しようとする方向にバイアスが働きます。何の制約も受けなければ資本はそのようにふるまうのです。

実際、産業革命が起きて間もなくのイギリスの工場労働は、短くて10時間、長いところで16時間という過酷なものだったといいます。

マルクスはこうした資本の節操のない収奪の性質を、「吸血鬼」と称しました。さらに彼は『資本論』の中で次のように表現しています。

「資本は、剰余労働に対するかぎりない盲目的衝動、その人狼(ヴェールヴォルフ)的渇望をもって、労働日の道徳的最大限度のみではなく、純肉体的最大限度をも、踏み越えるのである」(カール・マルクス『資本論(二)』岩波文庫)

資本は狼のような貪欲さで、道徳的な限度どころか肉体的な限度を踏み越えて、労働日を増やそうとします。
その結果、労働者は疲弊し、健康を害してしまいます。これでは国家自体がもたなくなります。

さらに社会主義国家の台頭でマルクスの言うところの階級闘争が起き、社会体制が変わってしまうリスクが高まります。資本主義国家も軌道修正をせざる得なくなったわけです。

これが社会政策などを基本にした改良型資本主義であり、国家の力によって資本の暴走を抑える様々な法制度が整うことになります。

労働時間短縮の流れもこの動きの中で生まれ、その結果現在の1日8時間労働に落ち着いたわけです。
ちなみに日本でそれが法制化されたのは1947年の労働基準法です。

 

新自由主義の台頭で社会の二極化が進んだ

資本主義が勃興した頃の過酷な労働環境は、今はほとんど見られなくなりました。ただし、ソ連が崩壊し社会主義国がその力を失ったことで、再び資本主義が本来の吸血鬼の性質を見せ始めています。

その表れが「新自由主義」と呼ばれる考え方です。

すなわち、様々な規制を取り除き、自由な競争を促せば、当然勝者と敗者が生まれますが、しかるべく努力をした者が勝者となり、敗者はそれを怠った結果に過ぎないという、いわゆる自己責任論によって、自由競争による格差の拡大が正当化されます。

こうした新自由主義が我が国に入り込んできたのは、諸説ありますが、小泉純一郎内閣(2001~2006年)による構造改革が大きな契機だったことは衆目の一致するところだと思います。

具体的には小さな政府を目指して公務員数を削減し、民営化と民間委託の拡大(郵政事業民営化など)を行いました。
とくに個々人の働き方において影響が大きかったのは、派遣労働の規制を緩和し、製造業への派遣労働が認められたことでしょう。

その結果、非正規雇用者数は2024年の数字では2100万人を超え、全体の4割近くまで迫っています(総務省「労働力調査」より)。

そうした流れの中で、2019年に厚生労働省が「働き方改革」を提唱しました。
残業時間の上限を月45時間、年間360時間とし、年次有給休暇を毎年5日は消化させること、同一労働同一賃金の原則を徹底し、正社員と非正規労働者など立場の違いで基本給や賞与など格差をつけることを禁じました。

新自由主義が蔓延しつつある世の中で、政府がそれに対して縛りを設けるかのような法的な体制を整えたのには意味があります。

ちょうど2010年を過ぎた頃から、過労死が社会問題化していました。2014年に「過労死等防止対策推進法」が施行され、それまで腰の重かった政府も本腰を入れて過労死対策を取るようになります。
その経緯の中で「働き方改革」が打ち出されたわけですが、この流れ自体は、私は間違ってはいないと考えます。

それまで36協定はあったとはいえ、やろうと思えば企業側は残業時間をいくらも延ばすことが可能でした。
それが「働き方改革」により、残業時間の上限を超えた場合は罰則が設けられ、厳しく処罰されることになりました。ようやくではありますが、国際的な標準に沿った法律が整ったのです。

 

「資本の論理」と「総合的な国力維持」の連立方程式

ただし、私は一方でこういう見方もしています。
同一労働同一賃金それ自体はよいのですが、賃金を正社員の基準に合わせるのではなく、非正規雇用の賃金に合わせて全体が低く抑えられる可能性があるのです。

加えて、9時~17時の勤務が常態化するということは、これまでの総合職の人たちの多くが一般職的な扱いになるという可能性があります。

仮に総合職で入社したとしても、役職定年が一気に早まり、40代でラインから外され、あとは一般職と同じような仕事や待遇となる。本来の総合職を全うするのは、いわゆる幹部候補のような一握りの人たちだけになってしまうわけです。

一見、労働者に寄り添った改革に見せつつ、その実は資本側にとって都合のよい改革になると考えています。

ちなみに、幹部候補となると、とても働き方改革でいうところの勤務時間では足りないというのが実情です。若いうちに覚えるべきことは膨大であり、時間はそれだけ必要になります。

すでに企業によっては幹部候補だけは特別メニューを設け、勤務時間ではなくあくまでもプライベートな勉強会を立ち上げ、そこで研修を行うところもあります。

そもそも政府が「働き方改革」を行うのは、決して人道的な配慮が理由ではありません。過酷な資本の論理の中で国民がすり減ってしまえば、結果的に国力は低下してしまいます。

国の役割は、「資本の論理」と「総合的な国力維持」の連立方程式の最適解を導くことにあります。
高齢化が進む中で、いかに労働力を維持するかという課題に対して、国が考えているのは、国民の健康寿命を少しでも長くして、高齢になってもできる限り働いてもらうということです。
それがすなわち、働き方改革を目指す国の真意なのです。

そうした国の意図を見極めながら、私たちは働き方改革による休養時間の増加をしたたかに利用して、自分時間を増やしていくことが大切です。
国家の戦略に乗りながらも、一方で個々人の生き方戦略をしっかりと立てていくことが求められています。

プロフィール

佐藤優(さとう・まさる)

作家

1960年、東京都生まれ、同志社大学神学部卒、同志社大学大学院神学研究科修了(神学修士)。1985年に外務省入省。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、その後、モスクワの日本国大使館、東京の外務省国際情報局に勤務。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕、起訴され、無罪主張をし、争うも2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。

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