2020年01月09日 公開
2023年01月30日 更新
2011 FIFA女子ワールドカップで、男女を通じて日本サッカー初の優勝。12年のロンドン五輪では銀メダル獲得と偉業を達成してきた名将・佐々木則夫氏。メディアで見せていた柔和な表情の裏には、計算された緻密な指導と大胆に選手を信頼する心が隠されていた。仕事にも通用するチームのモチベーションを高く維持するコツをうかがった。取材・構成 塚田有香
2011年の女子ワールドカップ。PK戦にまでもつれ込んだ決勝戦を制し、劇的な優勝を遂げた「なでしこジャパン」の姿が今でも目に焼きついている人は多いだろう。
以前は決して強豪とは言えなかった日本代表チームを、監督就任から約3年で世界一へ導いたのが佐々木則夫氏だ。あのワールドカップで選手たちが見せたモチベーションの高さと最後まで諦めないメンタルの強さを、どのように育てたのか。
「私が監督に就任してまずやったのは、明確な目標値を設定することと、『君たちならこの目標を達成できる』とメンバーに伝え続けることでした。それまで、なでしこジャパンの世界大会における最高成績はベスト8でしたが、私は『次の北京五輪で必ずベスト4に入る』という目標を掲げたのです。
私には、この目標を達成できると信じる根拠がありました。それ以前になでしこジャパンと似た特長を持つ男子チームで指導した経験があったからです。これらのチームは選手のフィジカルが特に強いわけではありませんでしたが、規律を重んじ、全員が真面目にコツコツと努力しました。
この特長を生かすには、個人の身体能力だけに頼るのではなく、組織的な技術や連携を強化し、チームとして明確な目標値を掲げて、それに向けて全員で成長していくやり方がいいだろう。そう考えて指導した結果、どのチームでも結果を出すことができました。
なでしこジャパンも、フィジカルでは海外の選手に劣るかもしれませんが、誰もが一生懸命に練習し、努力を惜しまない規律あるチームです。だから私は『君たちなら絶対にベスト4に入れる』と伝えると同時に、チームの特長を生かせば強くなると繰り返し言い続けました」
選手たちも最初は半信半疑の様子だった。なぜなら過去の五輪では、いつも予選リーグで敗退していたからだ。
「でも日々の練習やゲームに取り組むうち、その目標に一歩また一歩と近づいている実感が生まれ、励みになっていった。彼女たちも『自分たちはできる』と信じ始めたのがわかりました。
そして私が監督として初めて迎えた公式戦の東アジアサッカー選手権でいきなり初優勝。その半年後には、目標だった北京五輪でベスト4に入りました。それで大きな自信がついたのでしょう。今度は選手たちが『次は世界一になる』と言い出した。
私が彼女たちのマインドを変えたのではなく、彼女たちが自ら変化したのです」
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更新:11月25日 00:05