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現代社会は不毛な「相対化ゲーム」に囚われている...『「逆張り」の研究』 【書評】

2025年09月27日 公開
2025年10月16日 更新

大村壮太(作家)

綿野恵太の『「逆張り」の研究』(筑摩書房)は、2010年代以降のインターネット文化を象徴する「逆張り」という現象を丹念に読み解き、現代日本の言論空間を覆う硬直した「空気」を批評する一冊だ。

投資用語として肯定的な意味を持っていた「逆張り」が、SNS上でいかにして「常識を嘲笑う不純な態度」へと変質したのか。著者自身が「逆張り論者」と見なされた経験を起点とする本書は、理論と個人的エピソードを織り交ぜたエッセイ調の文体で、批評としての射程の深さと抜群の読みやすさを両立させている。

 

「逆張りぎらい」という風潮の背後にあるシニシズムの構造

千葉雅也が帯文で寄せた「真に思考を深めるための『逆』」という評言の通り、本書は単なる逆張りの擁護でも断罪でもない。その目的は、「逆張りぎらい」という風潮の背後にあるシニシズムの構造を暴き、現代の言説を支配する感情の絶対化を、ユーモアという武器で脱構築する道筋を示すことにある。

本稿では特に、アイデンティティポリティクスにおける感情絶対化の問題と、それを「工学的な知」や「ユーモア」で相対化する試みに焦点を当て、批評的意義を論じたい。

綿野が核心的に批判するのは、現代社会がシニシズムによる不毛な「相対化ゲーム」に囚われているという現状認識だ。リベラルも保守も、相手の言説の内容を吟味する前に、その態度や動機を詮索することで発言自体を無効化しようとする。

この「ハシゴ外し」は、言説以前のメタ視点から相手を否定する行為であり、「逆張り」が蔓延した社会の不毛さを象徴している。SNS上でリベラルが保守を「差別主義者のポーズ」と断じ、保守がリベラルを「偽善者」と冷笑する光景は、アテンションエコノミーやエコーチェンバー現象によって日々加速している。

この「メタ視点の奪い合い」の中で、「どっちもどっち」という相対主義や、「この道しかない」という絶対主義が乱れあって対立する構造が生まれる。例えば、ワールドカップの熱狂に冷や水を浴びせる意見が脊髄反射的に「逆張り」と認定され炎上する事例は、生産的な議論がいかにして失われるかを示す典型だ。

シニシズムは、相手の動機や態度を「不純」と決めつけて言説の価値を無化し、対話の可能性を根底から破壊する態度になりうる。

この相対化ゲームの中で、特に深刻な問題として浮上するのが、アイデンティティポリティクスにおける感情の絶対化だ。マイノリティの「傷つき」が議論の最終審級となり、それに異を唱える意見は「ハラスメント」として即座に排除される。ポリティカル・コレクトネスの名の下、身体的経験や感情が絶対的な真理として扱われ、異論を許さない「空気」が醸成される。

この感情の絶対化こそが、シニシズムのハシゴ外しをさらに強化し、対話を決定的に阻害する。「傷ついた」という主張が他者の冷笑を誘い、互いにメタ視点で否定し合う悪循環は、感情や身体性を過度に重視した2010年代ネット文化の帰結と言えるだろう。

綿野は、この感情や身体経験を絶対視する態度こそが、逆張りぎらいを助長する土壌なのだと分析しているように見える。

綿野の独創性は、この感情絶対化の言説を、「工学的な知」と「ユーモア」によって脱構築しようと試みる点にある。その象徴が、メンヘラ批評家「はるしにゃん」の分析を通じて提示される、感情を操作・管理する「工学的な知」への着目だ。はるしにゃんに代表される人々は、精神薬や生活習慣の調整を通じて、感情や身体的経験が決して不変のものではなく、「書き換え可能」であることを示す「ケミカルな唯物論」を実践している。

社会の閉塞感を前に、個人が自己変容によって生きづらさを乗り越えようとする態度は、これまでも存在した。鶴見済や橘玲らが論じてきたように、薬物やスピリチュアルなどの「工学的な知」を用いて身体に介入する試みだ。

無論、こうした態度は社会問題を個人の問題へと矮小化しているという批判を免れない。しかし綿野は、この「工学的な知」を、現代において絶対視されすぎた感情を相対化し、「それほど深刻に捉えなくてもよい」と考えるためのヒントとして戦略的に引用する。

現代社会の問題は、感情や身体性が個人と固く結びつきすぎた結果、多くの人がそれに縛られ、不要に消耗している事態にある。暴発し続ける感情の波からいかに距離を取るかという技法こそが、今求められているのかもしれない。

 

「ユーモア」が持つ力

同様に、綿野は「ユーモア」が持つ力も、感情絶対化への対抗策として高く評価する。本書に頻繁に挿入される著者の自虐的エピソード——遊び人や怠け者としての「弱者性」の吐露——もまた、この実践の一環だ。

真面目なリベラル知識人は、笑いにいじめの構造との近縁性を見出し、忌避する傾向がある。確かに、弱者を嘲笑の対象としたり、公共的な議論を茶化したりする「笑い」は批判されて然るべきだ。しかし綿野が提示するのは、対象との「距離」を生み出すという、笑いが本質的に持つ力である。

自らのトラウマやコンプレックスは、通常笑いの対象にはできない。だからこそ、アイデンティティポリティクスは身体的な傷つきを求心力としてきた。だが、その傷つきさえも客観視し、「笑い」へと昇華するラディカルな技法は、感情の絶対化という呪縛から自らを解き放つことにつながるのではないか。

本書の価値は、シニシズムの相対化ゲームと感情絶対化の悪循環を喝破し、そこから抜け出すための具体的な技法として「工学的な知」と「ユーモア」を提示した点にある。これらは、絶対的と見なされてきた感情や身体的経験が、実は「書き換え可能」なものであることを示し、アイデンティティポリティクスの硬直を内側から解きほぐす鍵となりうる。

2010年代のネット文化を総括し、2020年代の「空気」に風穴を開ける本書の批評は、リベラル・保守という安易な二項対立を超えて、現代を生きるすべての人に開かれている。シニシズムと感情論に疲弊した現代人にとって、本書は批評という営為がまだ有効であることを示す一冊であり、新たな対話の地平を切り拓くための必読書と言えるだろう。

 

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