2025年08月05日 公開
いま「低栄養」を理由に手術を延期するケースが珍しくないという。なぜそのようなことが起こるのか?延期後のサポートは?医療ジャーナリストの木原洋美さんが専門医への取材をもとに、分かりやすく解説する。
※本稿は『PHPからだスマイル』2025年7月号の内容を一部抜粋・再編集したものです。
「栄養状態がよくないので手術を延期します」――昨今、医療現場ではこうした決断がなされることが珍しくありません。栄養状態がよくないとは「低栄養」のこと。エネルギーとたんぱく質が欠乏し、健康な体を維持するために必要な栄養素が足りていない状態をいいます。
この状態で手術を受けると、出血や感染症のような術後合併症のリスクが高まるだけではなく、手術関連死亡も増加することがわかっています。当然、入院日数も増え、医療費も余計にかかってしまうので、低栄養が著しい場合には、手術を延期してでも、10~14日間ほどの術前の栄養管理を行なうことが推奨されています。
「つまり、『低栄養』は医学的には『病気』で、治療の対象になるのです」と、世界的な消化器外科医にして日本栄養治療学会の前理事長を務めた比企直樹医師(北里大学医学部)は言います。
日本栄養治療学会では、医師に加えて、歯科医師、看護師、薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師、理学療法士、言語聴覚士、調理師など、多彩な職種の専門家が参加して、低栄養の治療に取り組んでいます。栄養治療には、口から食べる経口栄養や栄養補助食品だけでなく、経腸・経管栄養、非経口栄養、カウンセリング、栄養評価など、栄養に関連する治療行為全てが含まれます。
比企医師が栄養治療に取り組むようになったきっかけは、若き日の救命救急センターでの体験でした。
「重症の患者さんばかりが搬送されてくる現場の救命率は10%以下。10人中9人が亡くなる状況で、九死に一生を得られるのは〝栄養状態のいい人〟でした」(比企医師)
さらにがん治療においても、手術がうまくいくかどうか、合併症を起こすかどうか、仮に合併症を起こした場合に早く回復するかどうかなども栄養状態次第。まさに「腹が減っては戦はできぬ」。
「以前は、ただ手術だけすればいいと思われていましたが、今は、患者さんの全身状態を診み て、とりわけ筋肉量が少ない場合には治療はうまくいかないと考えられています」(比企医師)
筋肉量が少ないということは、体力がないということ。体力がなければ、心臓などへの負担が大きい全身麻酔はかけられませんし、長時間の手術にも耐えられません。生命がかかったギリギリの状態で、筋肉がこれほど重要になってくるなんて、意識している人は少ないのではないでしょうか。
しかも、筋肉量を減少させないためには、口からしっかりと「食べられる」ことが重要で、「人は口から食べられなくなると、一気に弱ります」と比企医師。
こうした栄養治療において極めて重要な役割を果たすのが「栄養サポートチーム(NST)」です。NSTでは、前述した多彩な職種のエキスパートがチームとなって、患者の栄養状態を評価し、最適な栄養治療計画を立案、実施します。
たとえば食事を口から食べる力や飲み込む力(嚥下機能)は、加齢によって徐々に低下するほか、がんや心臓病などの大病や大手術によって食事ができない期間が続くと急激に低下します。
NSTでは、嚥下機能が低下した患者に対して、医師らによる専門的な検査の結果に基づいて、口腔ケアや嚥下リハビリテーション、管理栄養士による飲み込みやすい食事(嚥下食)や薬剤師による薬の提供、さらに看護師による専門知識に適った食事のサポートなど、総合的な嚥下機能の回復を図ります。
規模の大きな病院では、全体を医師と看護師が中心となったNSTが回診するのではなく、病棟ごとに管理栄養士が常駐し、多職種と連携を図りながらきめ細かく栄養サポートするスタイルが定着してきています。
栄養治療は、病的な低栄養状態を治療するだけでなく、患者の生活の質も向上させる重要な治療として、今後ますます重要視されるようになるでしょう。
【取材・文】木原洋美(きはら・ひろみ)
コピーライターとしてさまざまな分野の広告に携わった後、軸足を医療へと移す。雑誌やWEBサイトに記事を執筆。著書に『「がん」が生活習慣病になる日』(ダイヤモンド社)がある。
【監修】比企直樹(ひき・なおき)
北里大学医学部上部消化管外科学主任教授
更新:08月08日 00:05