2025年07月21日 公開

2013年に刊行された鈴木健『なめらかな社会とその敵』(勁草書房)は、単なる情報技術による未来社会の設計図ではない。それは、近代社会を支える貨幣、投票、法といった制度的インフラを、生命現象のアナロジーを借りながら根底から問い直し、社会そのものを「中心がなく、境界が曖昧で、構成要素が相互に溶け合うように関係しあう生命システム」= 膜・核・網として捉え直そうとする、野心的な思想の書である。刊行から10年以上が経過し、技術と社会が本書の射程にようやく追いつき始めた今、私たちはその真価を改めて問う必要がある。

本書が描く「なめらかな社会」の核心は、単に人間関係が連続している状態を指すのではない。その本質は、意図や理由といった「コンテクスト」が、価値や情報とともに社会を滑らかに伝播していく状態にある。この思想を体現するのが、伝播投資貨幣「PICSY」だ。
近代貨幣が、価値以外のあらゆるコンテクスト(誰が、なぜ、どのような思いで支払ったのか)を削ぎ落とし、計算可能な抽象的単位へと還元することでその流動性を確保したのに対し、PICSYは価値の伝播経路とその理由を可視化する。なぜAさんがBさんの活動に価値を感じたのか、その「共感の文脈」が価値と共に流通することで、社会には信頼と共感に基づいた、きめ細やかな価値のネットワークが立ち上がる。
この視点から見ると、本書が名指す「敵」の正体もまた明確になる。敵とは、特定のイデオロギーや国家ではなく、社会からコンテクストを剥ぎ取り、世界を単純化・抽象化しようとする力そのものである。
近代社会の制度的中核――匿名的な貨幣、ワンクリックの投票、一般化された法――は、まさにこの「コンテクストの切断」によって成立してきた。それは効率性と普遍性を獲得する一方で、個々人の複雑な思いや地域社会の特殊な事情を切り捨て、社会を硬直化させ、見えざる分断を生み出してきた。
この「コンテクストの切断」という"敵"に抗うもう一つの柱が、可分・委任可能な投票システム「Divicracy」だ。「一人一票」という不可分な意思表明は、個人の複雑な意見を一つの選択肢に押し込める暴力的な単純化である。
Divicracyは、この近代的個人というフィクションを解体し、争点ごとに細分化された私たちの意思が、その濃淡や文脈を保ったまま社会的意思決定に反映される可能性を示唆する。この二つの構想が連携する時、トップダウンの意思決定でも、単純な多数決でもない、ネットワーク参加者の複雑な思いが有機的に編み上げられていく「なめらかな統治」の姿が浮かび上がる。
刊行当時は抽象的に響いたこのビジョンが、2020年代の今、生々しいリアリティを帯びている。そしてそのリアリティは、本書の思想的子孫とも言える潮流によって、多様な形で描き出されている。
その最も輝かしい実践例が、台湾のデジタル民主主義を牽引したオードリー・タンの取り組みだろう。彼女が主導した市民参加型プラットフォーム「vTaiwan」は、市民が政策課題についてオンラインで熟議し、多様な意見の分布を可視化することで、対立ではなく合意形成を目指す。
これは、Divicracyの思想を国家レベルで実装し、市民一人ひとりの複雑なコンテクストを切り捨てることなく政策決定に反映させようとする、まさに「なめらかな社会」のプロトタイプであった。さらに、日本でも成田悠輔や落合陽一といった新進気鋭の理論家たちが、AIやビッグデータを活用する社会秩序の構想を世に提示し始めている。
生成AIの爆発的な普及によって、「自己完結した個人」という近代的主体像は、もはや技術的にも思想的にも維持困難となった。私たちの「個」は、今や分散的にオンライン上に存在する行動logと、それを読み込んで忠実に自己を再現するAIに取って代わられているようにさえ思える。
しかし、AIがもっともらしい文脈を「生成」する時、それは本当に「私」のコンテクストを豊かにしているのか、それとも実際はより貧しくしてしまっているのか。技術は常に両義的であり、社会を「なめらか」にするか、それとも「硬直化」させるかは、その設計思想と運用に懸かっている。
フィルターバブルとエコーチェンバーの中で、人々が対立と分断に煽られ続けている現代社会において、テクノロジーが照らす未来の仄暗さは、誰もが感得できるところだろう。
『なめらかな社会とその敵』を今読み直す価値は、まさにこの批評的な視座を与えてくれる点にある。本書は、未来の技術を予測した予言の書ではない。それは、社会が絶えず、生命的な「なめらかさ」を回復し続けようとする動的なプロセスを描いた思想書である。
社会がより政治的に強く分断されゆく中で、社会は今度こそ「なめらかさ」を手に入れることができるのだろうか?それとも、テクノロジーは現在存在している対立と分断を煽るための道具に堕してしまうのか?それを決めるのは、未だ「個」としての体面を保つ私たち一人一人にかかっているのだ。
更新:07月21日 00:05