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被害者が自分より弱者を支配することも...『なぜ人は自分を責めてしまうのか』【書評】

2026年06月21日 公開

大村壮太(作家)

1998年頃、「アダルトチルドレン」という言葉を日本社会に広め、家族という名の密室で声なき声をあげていた人々の苦しみに光を当てたカウンセラー、信田さよ子氏。その後も、日本で初めて「母と娘の関係の問題」を本格的に論じ、機能不全家族における連鎖や、見過ごされてきた女性たちの生きづらさを浮き彫りにしてきた。

彼女の提言は、「毒親」「毒母」といった言葉と共に社会に大きなインパクトを与え、多くの当事者が自らの体験を語り、癒やしを求める「当事者本」ブームの先駆けともなった。

その信田さよ子氏が、長年の臨床経験と深い洞察に基づき、現代人が抱える根源的な苦しみの一つ「なぜ人は自分を責めてしまうのか」という問いに正面から向き合ったのが『なぜ人は自分を責めてしまうのか』(筑摩書房)である。

本書は、自責の念に苛まれる人々に深く寄り添いながらも、その先に潜む「被害者権力」という新たな罠にも警鐘を鳴らし、真の回復への道を力強く指し示す、まさに信田さよ子の真骨頂とも言える一冊だ。

 

なぜ人は自分を責めてしまうのか、その痛ましい「合理性」

なぜ人は自分を責めてしまうのか

本書の核心は、タイトルそのものである「なぜ人は自分を責めてしまうのか」という問いへの、胸に迫る分析にある。特に、虐待や深刻なトラウマを抱える人々にとって、絶え間ない自責の念が、実は生き抜くための歪んだ「合理性」を帯びてしまうという指摘は、多くの読者に衝撃を与えるだろう。

信田氏は、不安定で暴力的な環境、つまり「危機」が常態化した中で育った子どもは、自分が生きる世界の「地図」に対して合理的な説明を見出すことが極めて困難になると説く。親からの予測不能な怒りや理不尽な支配、ネグレクトといった経験は、子どもにとって理解不能なカオスそのものである。その混乱の源が、本来最も安全な避難所であるはずの親である場合、子どもは外部に原因を求めることができない。

そこで、子どもが唯一、この混沌とした世界に「秩序」を見出し、自分が状況をコントロールしているという感覚(それが幻想であっても)を得るための手段が、「全部自分が悪いからだ」と結論づけることなのである。

いきなり怒られたり怒鳴られたりする経験に対し、「自分が悪い子だからだ」「自分が生きているのが悪いノア」と理由づけることで、子どもは不可解な親の言動に無理やり意味を与え、ある種の「納得」を得ようとする。これは子どもが獲得することができる合理性であり、生き延びるための痛ましい適応戦略なのだ。

しかし、この「合理性」は、同時に「文脈化できない言葉」しか持てない状況を固定化する。自分の感情や体験を客観的に捉え、言葉で表現する能力は育まれず、親から繰り返し浴びせられる「お前の問題だ」「お前のせいだ」といった支配的なメッセージが、疑う余地のない真実として内面化されていく。その結果、自責の念は雪だるま式に膨れ上がり、まるで自分の本質であるかのように、人生のあらゆる側面に深く根を張ってしまうのだ。

この分析は、長年にわたり「自分が悪い」という見えない呪縛に苦しんできた人々にとって、その苦しみの根源が個人の弱さや欠陥ではなく、過酷な環境への必死の適応であったことを明らかにする。それは、自らを縛り付けてきた鎖の正体を認識し、そこから解放されるための重要な第一歩となるだろう。

 

もう一つの罠 「被害者権力」という名の暴力性

しかし、信田さよ子氏の筆鋒は、単に自責のメカニズムを解き明かすだけに留まらない。本書のもう一つの極めて重要な柱であり、氏の近年の問題意識を色濃く反映しているのが、「被害者権力」という概念への鋭い警鐘である。

これは、被害を受けた経験を持つ人が、その「被害者である」という立場を無意識的あるいは意識的に利用し、他者を支配したり、過剰な要求をしたり、あるいは自分自身を絶対的な正義の側に置いて他者を断罪したりするような力学を指す。

信田氏によれば、この「被害者権力」は、「自分より弱者を支配すること」「脅迫的にケアを与えたくなってしまうこと」「正義をよりどころにして生きてしまうこと」といった形で現れる。

例えば、過去の被害体験を盾に「自分はこれほど傷ついたのだから、これくらいの要求は当然だ」と周囲に過度な配慮を強いたり、あるいは「自分は絶対に正しい、なぜなら被害者だからだ」という論理で他者を一方的に攻撃したりするケースがこれにあたる。

もちろん、被害者の権利が擁護され、その声が真摯に受け止められるべきことは大前提である。しかし信田氏が憂慮するのは、その「被害者」というアイデンティティが特権的な「権力」と化し、新たな暴力や支配の構造を生み出してしまう危険性だ。

特に、「ケアをしたい」「自分より弱い人をケアしたい」という一見すると利他的で献身的な欲求が、実は「相手を弱者として固定化し、そのケアを通じて相手をコントロールする」という「ケアの暴力性」に転化しうるという指摘は、人間関係における権力性の機微を冷徹に見抜いている。

良かれと思って行う行為が、実は相手の自律性を奪い、新たな依存関係や支配構造を無意識のうちに再生産しているかもしれない。この視点は、福祉や教育、カウンセリングといった専門的な援助の現場のみならず、親子、夫婦、友人といったあらゆる日常の人間関係において、自らの振る舞いを深く省みることを私たちに迫る。

信田氏が強調するのは、この「被害者権力」が、かつて自分が受けてきた支配の構造を、立場を入れ替えて他者に対して行使してしまうという悲劇的なサイクルである。この警鐘は、被害のナラティブに安易に同調するのではなく、その語りが持つ潜在的な暴力性をも見据えるという、信田さよ子氏ならではの厳しくも誠実な視座を示している。

 

自責と被害者権力を超えて 「回復への道筋」

では、この痛ましい「自責の合理性」と、危険な「被害者権力」の罠から、人はどのようにして抜け出すことができるのだろうか。

本書が強調するのが「繋がりの力」である。

アルコール依存症者の自助グループや、様々なトラウマのサバイバーたちが集う会のように、同じような経験や苦しみを共有できる他者との繋がりの中で、人は初めて自分の体験を安心して語り、受け止められ、そして新たな自己肯定感や生きる力を育んでいくことができる。そこでは、自責の念も、あるいは被害者としての怒りや正義感も、安全な場で表現され、より建設的な自己理解へと昇華されていく可能性が開かれる。

本書は、一方では虐待や生きづらさを抱える人々がどうすれば少しでも生きやすくなるのか、その具体的な方法を丁寧に提示してくれる。しかし同時に、その過程で「被害のナラティブ」に絡め取られ、「被害者権力」を発揮してしまったり、あるいは拭いきれない自責の念を他者への攻撃という形で噴出させてしまったりする暴力性に対しては、一貫して厳しいまなざしを向け、警鐘を鳴らし続ける。この二面性こそが、本書の価値である。

長年にわたり、家族や個人の内面に潜む問題と格闘し続けてきた信田さよ子氏の、まさに現時点での集大成とも言える本書は、自分自身を責め続けてしまう人、過去のトラウマに苦しむ人、そしてそのような人々を支援する立場にある専門家にとっても、多くの示唆と勇気を与えてくれるに違いない。

読み進める中で、自身の心の奥底に押し込めていた感情や記憶に触れ、時には痛みを感じるかもしれない。しかし、その痛みの先にこそ、真の自己理解と回復への扉が開かれていることを、本書は静かに教えてくれるだろう。現代社会に生きるすべての人にとって、一読に値する深遠な一冊である。

 

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