2025年06月04日 公開
「キッチンシンク」とは、新社長が就任した機会に、過去の膿を出し切るべく全ての問題点を明らかにして、将来的な業績回復の基盤を築く経営手法だ。この手法は海外企業では一般的だが、日本では「即座に業績改善を見せなければならない」という心理的プレッシャーから、決算の数値を取り繕う企業も多い。
本稿では日本式ビジネスの課題について、40年間米国で投資家として活躍してきた、米ホライゾン・キネティックス社 アジア戦略担当ディレクターのワイズマン廣田綾子氏による書籍『海外投資家はなぜ、日本に投資するのか』より、解説する。
※本稿は、ワイズマン廣田綾子著『海外投資家はなぜ、日本に投資するのか』(日経BP)より内容を一部抜粋・編集したものです
日本の企業が「選択と集中」の戦略を実行に移せない背景には、終身雇用制度の問題もあります。戦後、GHQの民主化政策の中で労働者の権利が強まり、共産主義の波を抑えるためにも、安定した労働市場を形成する必要が高まったことが、長期雇用制度の定着の背景にあります。バブル終焉にともない日本経済が停滞期に移行すると、高度成長期を支えたこの雇用制度が、かえって変革の妨げになってしまいました。
株価は経営者の通信簿であると同時に、会社がもつ「貨幣」でもあります。アメリカの優秀な経営者たちは、常に自分の会社の株価を意識しており、市場参加者から支持を得るためにどのような振る舞いをすればよいか、よく理解しています。
まず重要なのは、株主の信頼を得ることです。
経営者とは本来、市場の信頼を得るために、絶対に実現可能だと確信していることしか対外的に約束をしてはいけないものです。だからこそ新しい経営者を迎えたあと、キッチンシンクの期間中の膿出しを断行するのです。
能力のある経営者は新たにトップに就任すると、継続する経済合理性が認められない既存ビジネスの切り離しを含めたポートフォリオの膿出しを推進し、結果的に、就任直後の決算の数値が一時的に悪化しているようにみえてしまうことがあるのです。
日本では新社長の就任後、即時に経営が改善したかのように決算の数値を取り繕わなければいけないという、思い込みに基づく心理的プレッシャーが働くようです。
アメリカでは投資家側も経営者側もキッチンシンクの重要性についてお互いよく理解しているので、双方が近視眼的な振る舞いに出ることはほとんどありません。過去に実施した投資の損失確定などで最終利益がマイナスに振れたとしても、投資家からみると「これ以上悪い材料は出てこない」と、むしろポジティブな判断材料として受け止められます。
経営者側も、到達不可能な高すぎる目標値で人目を引こうとはせず、悪材料を出し尽くしたあとで、なおかつ確実に実現できる範囲を冷静に見極め、入念に精査した目標値を自らの責任として対外的に公表するのです。今後、日本市場で海外投資家の存在感がいっそう高まり、ハッタリ的な目標設定が企業価値に結び付かないことを経営者たちが学んでいけば、日本でもキッチンシンクの考え方が広がっていくと期待されます。
政策保有株によって自分たちの身分が保障されてきたこともあり、これまで日本の経営者たちは数値目標の達成にあからさまに無関心な態度を取ってきました。変化の兆しがみられるとはいえ、今でも日本の一部企業経営者の間には、株価や財務の数値を軽視する風潮が残っていると感じます。
よく経営者たちは足元の株価下落について「長期的な成長のため」「生みの苦しみの時期」などと釈明します。キッチンシンクの時期は例外として、こうした後付けの説明はたいていの場合、空虚な言い訳であることが多いようです。株主の利益とは結局のところ株価の上昇とほぼ同義です。あまりに近視眼的で瞬間風速的な収益拡大は問題ですが、業績の拡大なしに企業価値の向上はありえません。
株価とは企業の、そして経営者自身の成績表のようなものです。セブン・アンド・アイに対するTOB計画をめぐる騒動は、株価が下がれば海外勢などの買収の標的になるという現実を日本企業に突きつけました。経営者たちは、たかが成績表とこれまで高を括ってきたのかもしれませんが、成績が悪ければ自らが「退学処分」になりうるという当然のことを、意識するきっかけになったのではないでしょうか。
企業の財務状況については、余裕があるから問題がない、ストレス耐性があるからよいといった単純な話ではありません。キャッシュを大量に保有しているのは自慢できることではなく、そのキャッシュを利用して、企業価値の向上につながるような取り組みを何一つ実施していなかったことを示す不名誉な証に過ぎないのです。
合理的な理由なく現金を企業内部に滞留させたままにしていると、買収後の成長を支援することには興味を持たず、単にキャッシュそのものの横取りを狙うファンドに目をつけられる事態に陥らないとも限りません。
買収から身を守るため手段の一つである自社株買いは、安易な対症療法などと批判されることもありますが、他に魅力的な投資のアイディアが見当たらない状況であれば、短期間で確実に企業価値を向上して株主に還元するための直接的かつ有効な手段として評価できます。
東証による市場改革要請でPBR1倍割れ企業への風当たりが強まったこともあり、2024年の上場企業の自社株買いは約17兆円と、前年の170%近くに拡大し3年連続で過去最高を更新しています。同年中はトヨタ自動車の1兆2000億円を筆頭に、リクルートホールディングスの6000億円、三菱商事の5000億円(いずれも取得枠ベース)と、それぞれ過去最大規模の自社株買いに踏み切っています。
ノンコアビジネスの収益変動などの言い訳に逃げることなく、本業を中心とした企業全体の舵取りに専念し安定的に業績を伸ばして、配当を増額したり自社株買いを実行したりする行動力が、経営陣には求められています。自分たちが担っている本来の役割から目を背け、「長期的な成長の過程」などと絵にかいた餅のストーリーを取り繕っていれば、あっという間に海の向こうから買収の手が伸びてくることでしょう。
投資家として、時には社外取締役として、私は数えきれないほどの企業を分析してきましたが、終身雇用制の枠組みの中で人間関係の「和」を優先するこの国の企業風土の特性を、たびたび目の当たりにしてきました。大学や、場合によっては高校までさかのぼる学閥の仲間意識も、意外なほど強く残っているのです。
たとえば私は株主でもありアナリストでもある立場から、経営陣に疑問をぶつけ、真実を明らかにするという使命を負っています。投資先のトップに対して尋ねるべきこと、尋ねてみたいことは、いつも山ほどあります。
企業価値を向上するために、どのような戦略を描いているのか。その戦略はどのような合理的根拠に基づいているのか、そしてそれが実現可能であると自信を持って言い切れる理由は何なのか。株主利益を最大化するうえで課題はどこにあるのか。足元の実績値が悪化しているとすれば、それはキッチンシンクのように膿を出し切って改革を進める準備作業の一過程に過ぎないのか、さもなくば戦略自体に誤算があるのではないか。誤算があるとすれば、戦略の転換が必要なのではないか―等々。
ところがいざ経営者と面会し、一番訊いてみたいことを訊いてみると、彼らは一様に浮かない表情を浮かべます。どうやら彼らは、アナリストとしての私の質問を、パーソナルなレベルでの攻撃と勘違いしているようなのです。彼らが露骨に論点をそらそうとするとき、私は核心部分から経営者を逃がさないようにしますが、そうすると経営者たちの顔はいっそう曇っていきます。「どうしてそんなに厳しい質問ばかりするのか」と言いたげに。
たしかに経営者側からすれば、こうした問いの中には、できれば訊かれたくないことも含まれているのかもしれません。彼らも人間ですから、失敗を認めるような回答をすることを躊躇したくなるのかもしれません。
しかし経営者と投資家の関係は、ボクシングの試合で攻撃と防御の技を競い合うような敵同士では決してありません。株主側のアナリスト(バイサイド)の役割は情報収集を通じて、投資先企業が公表している戦略が合理的かどうか、その進捗状況が妥当かを見極め、問題があれば改善を要求することであり、結果的には両者の建設的な対話が企業側の成長にもつながるはずです。
そのためには、経営者が普段接している身内や取り巻きの人間たちが避けている話題に、時にあえて踏み込むことも避けては通れません。私が関心を抱いているのは飽くまで「真実かどうか」という点のみであり、目の前にいる経営者を私自身が個人的に好んでいるか、あるいは嫌っているかなどということは全く問題にならないのです。
一事が万事、アナリストと経営者の関係に限らず、日本企業の組織体系の中では、クローズドな人間関係と、仕事上の役割とを履き違えている風潮が蔓延しているように思えます。
日本特有の義理人情の価値を否定するつもりはありませんが、共同体の内部でしか因果関係を認め合うことができないような不明確なロジックに従いながら、しかもその妥当性を対外的に説明する努力を怠っている以上、幅広い市場参加者から戦略の実現可能性を信頼してもらい、資金的なサポートを受け続けることはやはり難しいのではないでしょうか。
更新:06月07日 00:05