「どちらを選ぶか、の物差しがない選択のときこそ、リーダーの意思決定が求められる」。数多くの経営者を近くで見てきた経営学者・楠木建氏はそう語る。意思決定で重要なのは、胆力、そして経験から「論理」を導き出す抽象化能力、「何を捨てるか・何をやらないか」を選び取る力だ。ここでは同氏に、今の時代のリーダーに求められる「意思決定力の磨き方」を聞いた。(取材・構成:川端隆人)
※本稿は、『THE21』2025年5月号特集[ムダに迷わない「意思決定術」]より、内容を一部抜粋・再編集したものです。
――多くの経営者と接してこられた楠木さんから見て、優れたリーダーの意思決定には、どんな特徴があると思われますか?
【楠木】そもそも意思決定とは何か。意思決定は選択です。しかも、外在的な優劣の基準がない状態で選ぶのが、正確な意味での意思決定なんです。
例えば、仕入れを行なうとしましょう。A社とB社のどちらから仕入れるかを選ばないといけない。両者の品質はまったく同じで、価格はA社よりB社のほうが安い。だったらB社を選べばいい。
ここでは意思決定は必要ないんです。できるだけ安く、できるだけ品質の良いものを、という基準にしたがって選択すればいいだけですから。
そうではなくて、どちらを選ぶか、の物差しがない選択のときこそ、リーダーの意思決定が求められる。迷路の出口が見当もつかない状況で、右に行くか、左へ行くかを決めるという話です。
実際の仕事では、こうした意思決定は必要ないことがほとんどです。優劣の物差しにしたがって、明らかに良いほうを選べばいい。仕事が高度になるというのは、外に物差しがない、本当の意思決定が必要な仕事の割合が増えていくということだと思います。
――そういう場面では、何をもって選択をすればいいんでしょう?
【楠木】意思決定者の中にしか基準がないんです。「こちらにしよう」と決めるしかない。もちろん、それには胆力がいります。だからリーダーが必要なわけです。選択の基準を与えられて、それにしたがって判断するだけでビジネスが進んでいくなら、経営者は不要ですよね。単に、ベターな選択肢を選んでやっていればいいだけなんですから。
というわけで、「優れたリーダーの意思決定にはこんな特徴がある」というよりも、「どちらがいいのかがわからない状態で決断ができる人こそが、経営者やリーダーになるのだ」ということになると思います。
難しい選択を迫られたときに、「どちらがいいのかはっきりさせてくれ」と周りに答えを求める上司がいますが、そういう人は、リーダーとしては二流だと思います。
――外に基準がない選択、ということは、間違える可能性も十分あるわけですよね。その失敗から何を学ぶか、も大切になってきそうです。
【楠木】経験というのは、ある活動を継続していれば時間と共に必ず積み重なってくるものです。 そういう意味では、誰しも経験はしている。優れた人とそうでもない人の違いは、私は「抽象化」だと思います。
仕事で成功した、あるいは失敗したとします。次にまったく同じ出来事が起きるとすれば、今回の経験で学んだことを活かすのは容易です。成功したなら同じ選択をすればいいのだし、失敗したなら逆の選択をすればいい。
ただ、まったく同じことが起きるというのは、現実にあり得ない。ですから、いくら日々、具体的な経験を積み重ねても、そこから未来の意思決定にそのまま使えるような基準は出てこないんです。
そこで、抽象化です。具体的な経験から、「要するにこういうことだな」という「論理」を引き出してストックしていく。そうやって蓄積した論理の引き出しが多い人は、優れたリーダーになれると思います。
そういうリーダーは、外に判断基準がない問題に直面したとき、自分の中に蓄積した論理の引き出しを開けたり閉めたりしながら、「どうなるかはわからないけれど、私はこうする」と決められるんですよ。
――なるほど......かなり高度なスキルのような気がします。
【楠木】意思決定は、スキルじゃなくてセンスなんです。
スキルというのは、定型的な開発の方法がある技能のこと。つまり「これについては、こういうやり方で身につけましょう」というカリキュラムがちゃんと用意されている。語学とかプレゼンテーションの方法がそうです。スキルはもちろん大切だし、ビジネスで役に立つんですが、いま申し上げているような意味での意思決定は、スキルではなくセンスだと私は思います。
――つまり、英語やプレゼン術のように、意思決定を上達させるカリキュラムはない、と。
【楠木】そうですね。経営者ほど大きな意思決定でなくても、誰もがそれぞれのポジションで、必要に迫られて意思決定をすることがあるでしょう。自分が決定権を持っている範囲で、個人の仕事にかかわる小さな意思決定、チームの意思決定、部署の意思決定......と判断を繰り返していく経験の中で、自然とセンスが磨かれていくのだと思います。
ですから、重要なのは決断の回数でしょうね。そこで成功するにせよ失敗するにせよ、「要するにこういうことなんだな」という論理を学んで蓄積していくしかない。
――判断するのは自分だとして、他人の意見も参考になると思います。どんなふうに活かしていったらいいでしょう。
【楠木】判断の基になる情報は必要ですから、人の話を聞くことは大切です。ただ、話を聞くにしても、「Aさんが『YよりXのほうが良い』と言っていた。だからXのほうが良さそうだな」という単純な捉え方をする人もいます。
一方、「Aさんが『Xのほうが良い』と言ったのは、要するにどういう理屈で判断をしているんだろう」と考えて抽象化する人もいます。前者だと、いつまで経っても自分の判断基準は持てない。結局、「頭がいい人」というのは、具体と抽象の往復運動がちゃんとできる人のことだと私は思います。
――結局、意思決定はセンスであり、センスを磨くには決断の場数を踏むしかない、ということになりますか?
【楠木】直接体験が第一ですね。ただ、疑似的に意思決定を経験するというか、センスがある人をじっくり見ていくのは、役に立つと思います。職場に「この人は意思決定のセンスがあるな」と感じられる人がいるでしょう。1人いれば十分です。その人をじっくり、丸ごと見る。
――丸ごと、というと?
【楠木】英語のスキルを学ぶのであれば、英語が堪能な人が英語をしゃべっているところを見れば勉強になります。プレゼンテーションのスキルを学ぶのであれば、うまい人がプレゼンをしているのを見て勉強すればいい。逆に言うと、スキルを披露している場面以外でその人を見ても意味がありません。
一方、センスはその人の総体です。センスがある人を見つけたら、意思決定の場面だけでなく、暇さえあればいつでも観察するようにしましょう。挨拶の仕方、メモの取り方、会議の取り回し方、質問の仕方......すべてにその人のセンスが現れているはずです。
カバン持ちとか、住み込みの師弟関係といった「丸ごと」その人を見られるやり方は、センスのように教えられないものを伝授する方法として定着したんでしょうね。
――会社の人間関係が希薄になり、リモートワークも増えている現代だと、なかなか「丸ごと」学ぶのは難しそうですね。
【楠木】今の労働環境が、センスの開発を阻害している可能性はあるでしょう。ただ、みんながみんなセンスを持つ必要なんてないんですよ。大切なことは、誰もが充実した生活を送れるということで、どういう働き方が向いているかは人それぞれ。スキルを磨いて、スキルでできる仕事をする人もいていいんです。
ただ、意思決定をするリーダーがいなければ経営はできないので、そういう人も少しだけ必要です。意思決定をする人はせいぜい100人に1人で十分でしょう。300人の会社なら3人。では3万人の会社なら300人必要かというと、そうはならない。大きな組織になるほど意思決定ができる人の割合は少なくていいと思います。
一方、私のように1人で仕事をする人は、自分で意思決定をせざるを得ません。どうしても意思決定のセンスを磨きたいんだ、という人は、「自分1人で会社のすべてを動かせるとしたら」という思考実験をしてみるといいかもしれませんね。
――楠木さんご自身が仕事の中で意思決定をするのはどんな場面が多いですか?
【楠木】組織で仕事をしている人と違って、私の仕事は個人でやっている「家内制手工業」のようなもの。大きな意思決定はないですが、小さな意思決定は毎日のことです。
自分は1人しかいないし、時間は1日に24時間しかない。同じ時間にA社の取材とB社の取材を入れるわけにはいかないし、大阪に向かいつつ札幌に向かうこともできない。常に選択を迫られるわけです。
こんなふうに個人の仕事で考えるとわかりやすいんですが、意思決定というのは常に資源制約のもとで行なわれます。例えば、外在的物差しで良し悪しを判断できない2案があるとします。リソースが無限にあれば、両方を取ればいいんです。でも、実際には大阪と札幌に同時に向かうことはできない。
組織の場合でも、様々なリソースの制約がありますから、どちらかを潔く捨てなければいけない。私のように1人で仕事していても、大きな会社の場合でも、意思決定の大前提は資源制約なんです。
これは仕事で多くの会社、組織を見せてもらう中で気づいたことなんですが、何かを捨てること、何かをしないと決めることには思わぬ効果があります。ちゃんと捨てることができている組織は、たとえ忙しくても雰囲気が明るい。これはやらなくていい、と思うとメンバーは気持ちが楽になるんです。ですから、きちんと意思決定ができるリーダーの下で動いている組織は、いわば「明るく疲れている」んです。
一方で、ちゃんとした意思決定がなく、 「これも大切」「あれも大事」とどんどんToDoリストが増えていく組織って、ありがちでしょう。
――ええ。思い当たる読者も多そうです。
【楠木】こういう組織は「疲れが暗くなる」んですよ。意思決定をちゃんとして、メンバーが明るく疲れるようにする。これはリーダーの責任だと思います。
――意思決定をすると、「あっちを選べば良かった」と後悔してしまうこともあると思います。どう対処すればいいでしょう。
【楠木】まず、意思決定をする以上、失敗は避けられないので、「仕方ない」と思い切ることでしょうね。
そのうえで、失敗だとしても経験が蓄積された。その経験が、将来の意思決定で使える自分なりの基準を形づくるわけです。だとすれば、失敗は言ってみれば投資です。将来的にはペイするものだと考えればいい。
それと、忘れてはいけないのが「しょせん、仕事なんだ」という考え方です。本当に大切なのは生活であり、人生です。仕事は仕事にすぎない、という気持ちは持っておいたほうがいいですよ。失敗しようが成功しようが、あまり重く考えないこと。
――とはいえ、なかなか軽くは考えられないですよね。失敗したらまた上司に怒られる、もう会社に行きたくない......とか。
【楠木】失敗したって命までは取られません。法治国家ですから。法秩序や基本的人権を脅かすのは本当に重大な問題ですが、それ以外は大した問題ではないと思っていいんですよ。
――たしかに、命までは取られませんよね......。あとは、自分の意思決定ではなく、メンバーとしてリーダーの意思決定を助ける場面もあると思います。どんなことを心がけたらいいでしょう。
【楠木】私は、ビジネスは他のあらゆる活動よりも難易度が低いと思っているんですよ。なぜかと言うと、ゴールがはっきりしているから。商売である以上、「長期利益」がゴールであることは不動です。長期利益という一点では誰も争わない。これがビジネスのやりやすいところです。
長期利益が出るということは、いわゆる「金儲け」ができるだけでなく、お客様に独自の価値を提供できているという証明でもあるし、雇用を創出し、労働が分配できて、法人税も払えて、社会貢献ができる、ということの大元でもありますから、おそらくあらゆるビジネスにとって共通のゴールでしょう。
一方、家庭生活はどうか。「幸せな生活」がゴールだとしたところで、「幸せってなんだろう?」という価値観は夫婦でも親子でも食い違うことが普通です。「長期利益」と比べると、「幸せ」という概念は多元的なんです。
政治も同様で、政党によって、あるいは政治家によって、どんな社会を理想としているかが違う。これが政治の多元性で、だからこそ議会制民主主義みたいな複雑な制度が必要にもなります。
ビジネスでは、「こうやったらもっと儲かると思いますよ」という話を持ってこられて嫌な顔する人はいません。こんなやりやすいことがありますか? ですから、自分が判断をするにしても、誰かの判断に対して意見を述べるときでも、「自分はこれが一番儲かると思います」「これ以外に儲かる方法があるんだったら、そっちをぜひやりましょう」という姿勢で話をすればいいだけです。すると話が早いですし、揉めないんです。
それなのに、それ以外の余計なことを考えるから、面倒なことになる。深くて複雑なことはご家庭でやるようにしましょう(笑)。人生、生活、家族関係のほうがはるかに難しいんですから。繰り返しますが、「しょせん、仕事」です。
――意思決定というと大変なことのように思えてきますが、もっと気軽に捉えていいのかもしれませんね。
【楠木】我々は戦国大名じゃないんでね。上司が織田信長だったら、意思決定の間違いは命に関わりますよ。信長のパワハラは殺人とか焼き討ちとかですから。
現代社会に生きる我々は、そういう厳しい状況で仕事をしてるわけではありません。意思決定するポジションでも、そうでなくても、生活第一、仕事は第二、という方針で幸せに暮らしていきましょう。
【楠木建(くすのき・けん)】
一橋ビジネススクールPDS寄付講座競争戦略特任教授。1964年、東京都生まれ。89年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書に『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)など。『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』『楠木建の頭の中 仕事と生活についての雑記』(共に日経BP/ 日本経済新聞出版)が好評発売中。
更新:04月26日 00:05