2024年12月20日 公開
2026年01月20日 更新

美術教師の末永幸歩です。このコラムでは、アート作品に向き合ったり、小さな子どもがみつめる世界に想いを馳せてみることで、物事を異なる角度からみつめ直し、自分だけの答えをつくる「アート思考」をしてゆきます。本稿では『星の王子さま』についてご紹介します。
※本稿は、『THE21』2024年2月号 連載「ビジネスパーソンのためのアート思考トレーニング」より、内容を一部抜粋・再編集したものです。
『星の王子さま』という物語のことはご存知でしょう。1943年に英語版とフランス語版が初めて出版されて以来、約500もの国と地域の言葉に翻訳され、80年以上にわたって読み継がれている名作ですので、お読みになったことがある方もきっと多いはずです。
この物語は、砂漠に不時着したパイロットの「僕」と、遠い星からやって来た「王子さま」との不思議な出会いから始まります。大人の世界に違和感を抱きながらも、知らぬ間にそれに順応していた「僕」が、「王子さま」との出会いによって、子どもの心を取り戻していく物語です。
『星の王子さま』は、易しい文章と絵による「子ども向けの本」であるものの、物語の根底に流れる「いちばんたいせつなことは、目に見えない」というメッセージは、子どもの心を失ってしまった大人に向けたもののようにも感じられます。
物語の中で、「僕」は次のように語ります。
"新しい友だちのことを話しても、おとなは、いちばんたいせつなことはなにも聞かない。「どんな声をしてる?」とか「どんな遊びが好き?」「蝶のコレクションをしてる?」といったことはけっして聞かず、「何歳?」「何人きょうだい?」「体重は何キロ?」「おとうさんの収入は?」などと聞くのだ。"(『星の王子さま』 サン=テグジュペリ著、河野万里子訳/新潮文庫)
『星の王子さま』を読みながら、私は、自分が小学校低学年だった頃のことを思い出していました。
その頃、家族で暮らしていた芝生の庭のあるアパートは、子どもの私にとって最高の城でした。
朝起きると身支度も疎かに庭に飛び出して、並びに住む子どもたちと遊んだり、昼になるとお隣のお母さんがベランダから顔を出して、「ウチでお昼食べてく?」なんて声をかけてくれたり。近所迷惑など微塵も考えずに、アパートの1階の地続きの庭を、我が物顔で駆け回っていました。
一番奥の部屋には、いつもエレクトーンを弾いている男性がいました。 家の中には珍しい機材がいくつもあります。興味津々で庭先から覗き込むと、その人は家の中から笑いかけてくれました。
私の父も楽器を演奏するからでしょうか、その人と家族ぐるみでの付き合いが始まりました。昼間から家に上がり込んで音響機材のあれこれを教えてもらったり、我が家に寄り集まって夕食後にそのまま演奏会が始まったり......。
ただじきにその人は引っ越してしまい、その後は交流もなくなってしまいました。
今、その人のことを思い返そうとすると、「あの人は何歳だったんだろう?」「何人兄弟だったのだろう?」「体重は何キロだったんだろう?」「収入はどのぐらいだったのだろう?」......そのいずれも知らなかったことに気づかされます。 それだけではなく、「名字」や「職業」といった基本的なことさえも、私は知らないのです。
一方で、ちゃんと知っていることもあります。それは、その人が奏でるエレクトーンの軽快な音、見惚れてしまうような敏捷な指先の動き、目を瞑り体を揺らしながら音楽に深く入り込む姿、醸し出す雰囲気──それらを今でもはっきりと思い出すことができます。
もし、私が大人になってから初めてその人と知り合ったとしたら、私の目に映るのは「中年でひとり暮らしの、定職に就いていない作曲家」であり、私たちが暮らしていたのは「賃料の安い手狭なアパート」であるのかもしれません。
でも、その記述が「その人」を「あの場所」を、正確に表現しているとは、私にはとても思えません。子どものときに感じていた「目に見えないものの集積」のほうが、よほどリアリティーを持っているように思うのです。
20世紀の画家パブロ・ピカソは、「リアリティーとは君が感じることの中にある」と言いました。
ともすれば、私たちは「目に見えるもの」ばかりを重要視してしまいます。例えば、「数字で表せる客観的なデータ」がないものは信じようとしなかったり、「目に見える成果」がないものには意味を感じなかったりします。
しかし、子どもの私が「あの人」について知っていたことと、その人の本名や職業といった情報が表すこととに隔たりがあるように、「目に見えるもの」だけを扱うのでは決して感じ取れないリアリティーがあるはずです。
目に見える情報に溢れる現代だからこそ、時には「目に映らないもの」に意識を向ける必要があると私は感じます。 『星の王子さま』に書かれる「いちばんたいせつなことは、目に見えない」というメッセージは、大人の凝り固まった「ものの見方」を広げてくれるのではないでしょうか。
【末永幸歩(すえなが・ゆきほ)】
美術教師/アーティスト。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、都内の中学校や高等学校で展開してきた。子どもの創造性を育むワークショップ、大人向けアート思考セミナーなど、アートに関する活動を年間100回以上行なう。プライベートでは4歳児の子育て中。著書に22万部突破のベストセラーとなった『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)がある。
更新:01月23日 00:05