2021年03月24日 公開
2023年02月21日 更新
例えば昨今、発展目覚ましい中国企業はまさに「トップダウン」だ。アリババグループのジャック・マーやテンセントの馬化騰など、名だたる経営者たちはもちろんトップダウンだが、中国という国自体が良くも悪くも共産党という強力な一党独裁体制によって支配されているトップダウン型の国である。
このことが、少なくとも中国のデジタル化においてはうまく働いた。個人の権利意識の強い国では、個人情報などの問題もあり、通信やネットワークの拡大が一気に進みにくい。一方、中国は国家主導でデジタル化を進めたため、短時間での変革が可能になったのだ。
もっとも、中国が「ボトムアップ型リーダーのワナ」に陥らずに済んだのは、ひとえにタイミングの問題だったかもしれない。元々は中国も日本型の大量生産・大量消費型の製造業のモデルを追いかけてきたからだ。
1978年の日中平和友好条約締結に際し、鄧小平が来日して日本企業に協力を仰ぎ、それに応えてパナソニックやオムロンといった企業が中国に工場を建設することで、日本型の生産モデルが彼の地にも広がっていった。
もし、そのまま進んでいたら、中国の経済モデル、企業モデルも日本型の改善・改良型、ボトムアップ型の組織が圧倒的になっていたかもしれない。しかしそうなる前に、1990年代からいわゆる「ITデジタル革命」が始まった。
どちらかというと家族的個人主義の文化が強い中国の人々にとっては、デジタル型産業の世界は相性が良かったようだ。
デジタルの世界はソフトオリエンテッド、それも高次元のアーキテクチャデザイン力で勝負する世界だ。そこで成功するには、自己主張が強く、全部自分で決めるタイプのほうが合う。みんなで話し合ったり場の空気を読んだりしても、いいプログラムは書けない。
政治的には正反対に見えても、経済的にはいろいろな意味で中国とアメリカは似ている。だからこそアメリカ発のデジタル革命にうまく乗ることができたのだろう(近いからこそ、米中対立が起きているともいえるが)。
加えて、人口の多さもネットワークの世界では有利に働いた。これが、中国が日本以上にデジタル革命の波に乗ることができた理由だろう。
ただ、これから先、日本の持っているユニークネス、米中といろいろな意味で比較優位、絶対優位が異なることを、むしろしたたかに活用するリーダーシップが、国家、企業、個人のレベルで問われるように思う。
情報装置産業化した「外コン」や中途半端な「国際派」にありがちな「米国では」「中国では」とひたすらキャッチアップを指向する「出羽守(ではのかみ)」な発想にも、頑迷固陋な日本的経営礼賛論にも、私たちの未来を拓く答えはない。真の創造性こそが求められているのだ。
更新:11月22日 00:05