2019年12月11日 公開
2023年02月24日 更新
どうしようかと思った私は、当時の上司に相談しました。
返ってきた答えは今でもよく覚えています。「自分を納得させてくれたら、社内中駆けずり回ってお前の案件を成立させてやる」と言うのです。
さらに、周りの先輩たちが寄ってたかって助けてくれたのです。「これを調べろ」「あの人に聞いてみろ」「こうやって考えるんだ」と。
こうした助けがあって、私はなんとか仕事を進めていくことができました。
考えてみると、「あなたしかいないんだ」と言ってくれた取引先の経理部長といい、背中を押してくれた上司といい、助けてくれた先輩たちといい、私はメンターのような存在になってくれる人に恵まれていました。
こうなるともう、やるしかない。
私は狂ったようにマンション業界について勉強をし、情報を集めていきました。
融資案件を成立させるためには、これからA社がつくろうとしているマンションが、「間違いなく売れる物件」であることを証明しなければいけません。
まずやったことは、ある先輩のアドバイスに従ってアパート・マンション情報誌を買ってくること。インターネットもまだ普及していない時代ですから、情報集めもアナログです。そして、1冊分の新築マンションのデータをすべて見て、まずは手元で整理しました。
データを見ていくと、どうやら都心から最寄駅までの電車の時間と、最寄駅から(徒歩やバスで)かかる時間が、マンションの平米あたりの単価に大きな影響を与えていそうだ、と気づきました。さらにデータを集めて集計していくと、「都心からの距離」「最寄駅からの距離」「平米あたりの価格」の計算式みたいなものを自分なりに導くことができたのです。
言ってみれば、フレームワークを自分でつくってしまったようなものです。
まあ、既存の知識を勉強するのが苦手だった、ということもあるのですが……。
ともかく、この数式によると、今回の物件は、「誰が見てもべらぼうに割安だ」という結論が得られました。考えてみると、これは当然の話。当時、新築で発売されていた他の物件は、すべてバブルの最後のほうに仕入れている物件なので、コストがやたらに高く、当然、販売価格も跳ね上がっています。
一方、バブル崩壊後の仕入れとなる今回の物件は、その分割安になるわけです。しかし、リスクを恐れてどこも手を出していなかったのです。
正直、「これはいける」と思いました。
今回の物件は、割安であるために必ず売れる。しかも、A社は歴史が新しいだけに財務体質も傷んでいない。そんなことを根拠にして、私は懸命に上司に説明しました。
時期が時期だけに、銀行の本部はリスクをとることに消極的です。けれども、上司も約束通り、ほうぼうを駆けずり回って説得にあたってくれました。
おかげで、この案件は見事に成立することになりました。
幸運なことに、結果的にこれは、バブル崩壊後のマンション新規融資物件としては、先がけの案件となりました。銀行のマンション業者に対する新規貸出自体、これがバブル崩壊以降では最速レベルだった、とも聞きました。
さらに、発売してみると、予想通り売れ行きは好調。行列ができるくらいの好評ぶりです。A社の社長が後に語っていた言葉を借りれば、結果的にこの案件が、「第6次マンションブームのきっかけの1つになった」とまで評価していただきました。
もちろん、やっている最中は、バブル崩壊後のこの状況下で、「新たなマンションブームを起こそう」なんて考えもしません。相変わらず吐き気に襲われながら、必死で駆けずり回っていたというのが正直なところです。
ともかく、私が必死でやり抜いた仕事は、予想以上の成果をあげて終わることができたのです。
忘れられないのは、無事に案件が成立してA社の社長と飲みに行ったときのこと。
2人で泣きながら抱き合って「よかった、よかった」と喜び合ったのです。
このとき、生まれてはじめて私は、「仕事って悪いものじゃないな」「仕事って怖いものじゃないんだな」と思えたのです。
就職して、職場にも仕事にもなじめず、ついにメンタル不調になってしまった私は、仕事自体が怖かった。会議室に入って、人と顔を合わせて、商売のやり取りをする。それ自体がもう、怖くて怖くて仕方がなかった。
「取って食われるんじゃなかろうか」というような心持ちで仕事をしていました。
けれども、実際の仕事はそうではなかった。
仕事をする相手は、みんな普通の人間です。一生懸命にやれば相手も応えてくれるし、助けてくれる。だから仕事は怖くない。心からそう思えたのです。
別に、この案件を通じて、急に仕事ができるようになったわけではありません。
しかし、必要以上に怖がっていた仕事が怖くなくなりました。
「自分も仕事をしていていいんだ」と思えるようになったのです。
さらに言えば、「仕事を通じて、自分と社会はつながっているんだ」と実感できました。
その意味で、私にとってターニングポイントとなる出来事でしたし、文字通り私は仕事に助けられたのだと思います。
更新:11月24日 00:05