2019年04月15日 公開
2023年03月07日 更新
私たち日本人ビジネスパーソンは優秀。グローバルエリートとの差はほんのわずか──。ゴールドマン・サックス、マッキンゼーにて活躍した戸塚隆将氏は、近著『1%の違い 世界のエリートが大事にする「基本の先」には何があるのか?』の中でそう断言している。では、そのわずかの差とは何か?
(※本稿は、戸塚隆将著『1%の違い 世界のエリートが大事にする「基本の先」には何があるのか?』(PHP研究所)の一部を再編集したものです)
私たち日本人になじみのある会議の多くでは、何も発言しなかったとしても、必ずしもマイナス評価になることはあまりないでしょう。
一方、グローバルな環境では、どのような会議であっても「発言がない」=「自分の意見がない」とみなされます。さらには意見を持たない者はその場にいる意味がないとさえとらえられます。なぜならば、「自分の意見がない」=「無味無臭な存在」とされ、その人の存在自体が薄いと考えられてしまうからです。
私たち日本人は議論することに慣れていません。積極的に発言する場合も知識や情報の共有に主眼が置かれがちで、自分のポジション(結論と言い換えられます)を明確にしないことが多いでしょう。
一歩引いて、あくまで「評論家」的な態度をとってしまうこともあるでしょう。自分の意見やYES/NOを明確にすることには正直、慣れておらず、またそうすることによって「和」を乱すことを避けようとしてしまうことも少なくありません。
私がゴールドマン・サックス(以下、ゴールドマン)で日本企業のM&Aアドバイザリー案件に従事していたとき、日本の大手企業の経営の中枢にたずさわる方々と仕事をする機会が多くありました。情報の整理された分析資料を作成して会議に臨まれるそれらの方々は、頭脳明晰で大変優秀な方ばかりでした。
たとえば、ある議題に対し、A案とB案があったとしましょう。各案に関する説明資料に加え、A案の場合のメリット・デメリット、B案の場合のメリット・デメリットを整理した比較表が添えられていることが多かったです。それらの資料はどれも的確にポイントをついていて、素晴らしいものばかりでした。
しかし、一点だけ違和感を覚えることがありました。
それは、それらの分析資料には、作成者ご自身のポジションが明確に記載されていないことでした。つまり、どちらの案を採用するべきかが書かれていないのです。ポジションを決めるのは経営者や上司の仕事であるからです。
そこで、資料を作った方に「あなたはどうお考えですか?」と投げかけると、言葉に窮してしまうような場面が多くありました。それは、その方の能力の問題ではなく、単に自分のポジションを明確にすることに慣れていないからです。つまり、わずかな意識の違いが生み出した結果と言えるでしょう。
更新:11月25日 00:05