2018年10月26日 公開
溝畑氏は、もとは自治省(現・総務省)の官僚だった。大分県庁に出向していた間に、プロサッカークラブ・大分トリニータの立ち上げや、世界中から多数の外国人留学生を受け入れる立命館アジア太平洋大学の開校などの実績を上げ、その後、観光庁長官に就任した。いわば地域振興や観光のプロだ。
「東日本大震災からの復興に取り組んだあと、12年に観光庁長官を辞めました。それからは、内閣官房で東京オリンピック・パラリンピック招致などの仕事をするとともに、先ほどお話ししたように橋下さんとの関係ができていたので、大阪府特別顧問として、大阪の観光政策にも関わるようになりました。大阪観光局の設立(13年)や宿泊税の導入(17年)、IRの誘致などは、その頃から話し合ってきたことです。
その後、松井一郎大阪府知事、橋下大阪市長(当時)、関西経済連合会の森詳介会長(当時)、大阪商工会議所の佐藤茂雄会頭(当時)といった方々から『もう一度、関西・大阪を復活させてほしい』という熱いラブコールを受けて、15年4月に大阪観光局理事長に就任しました」
職を引き受けた理由は、「官民一体となって大阪の観光業を成長産業、基幹産業にしていこうという強い意志と決意が感じられた」ことだという。また、故郷への想いもあった。
「僕は、関西の京都出身です。大学進学で東京に行く前の関西は誇り高きエリアで、東京を見下ろすくらいでした(笑)。ところが、40年近く経って、ふと客観的に見てみると、経済が低迷し、東京一極集中が進んでしまっていた。
橋下さんが知事時代から言っているように、関西の復権なくして日本の再生はありません。関西の中でも、ハブになっているのが大阪です。
このまま東京にいて観光立国や地方創生に取り組むより、関西に戻って、その経済を再び活性化させ、東京一極集中の歪みを正して大阪をもう一つの極にし、さらに、世界でも競争力のある都市に変えていくための仕事をしたい、と思いました。
私の人生は、常にチャレンジの連続です。人口120万人の大分県でも、世界にチャレンジしていました。日韓ワールドカップの試合を大分スタジアムに誘致したり、立命館アジア太平洋大学を開校したり、大分トリニータを立ち上げて社長に就任し、08年のJリーグナビスコカップで優勝したりと、ローカルから世界の高みを目指しました。
大阪でも、同じように、志を持って世界を目指しています」
《人物写真撮影:桂 伸也》
《『THE21』2018年10月号より》
更新:11月22日 00:05