2017年10月25日 公開
2017年11月14日 更新
もちろん、若手や女性ばかりが登用されるのは、ベテラン男性社員としては面白くないだろう。宮原氏は、そうした社員たちのモチベーションの維持にも心を配ったという。
「社長就任当時、私は51歳でした。役員だけでなく管理職でも、私より社歴も年齢も上の人はたくさんいました。さらに、13年前までは本社の正社員ではなく神戸で勤務地限定職に就いていて、当時、社内的にはあまり花形とは言いがたい教室事業を手がけてきました。エリート街道を歩んできた生え抜きの人たちは、私のような人間の命令など聞きたくないと思うのが本音でしょう」
しかし、ベテラン社員たちが行動しなければ会社は回らない。
「行動に移すまでには、『理解』して『納得』することが必要ですが、『納得』までいくのは非常に難しいことです。そこで、せめて『理解』だけでもしてもらおうと考えました」
そこで実践したのが、相手に合わせてアプローチの仕方を変えることだ。
「たとえば、1回だけ言うのか、3回かけて話すのか。1カ月ほど前から少しずつ話しておくのか。会議の終わりにジャブを入れるのか。外で食事しながら話すのか、食堂でコーヒーを飲みながら軽く話すのか……。どう話すかは、相手の性格に合わせて変えました。そうしないと、耳を閉ざしてしまい、理解すらしてもらえません」
また、ベテラン社員と話すときは、彼らの実績の中から良かったところを伝え、尊重する姿勢を見せた。
「一方で、失敗を指摘することはやめました。指摘すると、プライドが傷つけられ、『この人の下では働けない』と耳を閉ざすと考えたからです。気づくまでじっと待つようにしました」
これらを心がけたことで、宮原氏より年上の幹部や管理職も、宮原氏の話に耳を傾け、『納得』してくれたという。
「もちろん、全員に対してうまくいったわけではありませんが、手を変え品を変え、対話は続けていました。そうして全員に期待するスタンスを見せることが大切だと思っています」
宮原氏自身は、常にモチベーションを高く持ち続けてきたのだろうか。
「社長に就任してからは、使命感から、モチベーションが下がることはまったくありません。しかし、若い頃はモチベーションが下がることもありました」
それは、前述した小学生向けの教室事業に携わっていたときのことだ。
「当時は、まだ力の弱い部署で安月給だし、発言権はゼロ。あるときは、事業を伸ばしたら、参考書の担当者から、『参考書が売れなくなる。邪魔するな』と言われる始末でした。辞表もこれまでに三回書きました。
それでも、一緒に頑張ってくれる教室の先生方やスタッフの努力に報いたくて、『いつか見返してやる』という思いで続けてきました」
もっとも、憎しみのパワーをモチベーションにしていたかというと、そうではない。心がけていたのは、「人を嫌いにならないこと」だ。
「好き嫌いばかり考えていると、仕事に身が入らなくなる。それに、相手のことを嫌えば、相手も必ず自分のことを嫌いますから、仕事がやりにくくなります。だから、意識的に、周囲の人の嫌なところを見ないようにしてきました。すると、段々と人を嫌うことがなくなり、それで仕事のやる気を失うことはなくなってきました」
また、腹が立ったり落ち込んだりしたときには、音楽で自分を奮い立たせていたそうだ。
「音楽の定番は、吉田拓郎の『ローリング30』と『知識』という曲。『ローリング30』は『今、厳しい道をいけば、絶対あとで良いことがある』という内容で、何万回も聴いているんじゃないかな。ちなみに初めて株主総会に社長として臨んだときは、事前に『ロッキーのテーマ』を聴きました」
こうした小さな「モチベーションを高める方法」をたくさん持っているかどうかは、意外と重要だと言う。
「生まれつきモチベーションが高い人なんていません。そう見える人でも、陰で、何らかの方法でモチベーションを高めているものです。その方法を意識的に確立していくと、モチベーションは安定すると思います」
《『THE21』2017年10月号より》
更新:11月26日 00:05