2017年06月21日 公開
2022年11月14日 更新
――その後、日本中で愛されるピザを生み出す予感などはまったくなかったのですね。
淺野 ないです。まったくありませんでした。しかし、「一体なぜうまくいかないのだろう」「自分の天職はどこにあるのだろう」と悩みに悩む中で、二つのことが見えてきて、それが私の人生が変わるきっかけになりました。
一つめは、がむしゃらに働けど報われない日々を生きてきた私にとって、初めて具体的な目標が浮かんだ瞬間です。当時、総理大臣の年間の給料が約3000万円とか、そのくらいだと知りました。そのとき、こう思ったのです。「私は総理大臣にはなれないかもしれないが、月額300万円稼ぐということなら、ひと月に30万円儲かる店を10年かけて10店作れたら、総理大臣と同じだけ稼げるのだな」と。それを思った瞬間に、視界が開けました。目標が定まると突っ走れる、私はそういうタイプです。この具体的な目標が見えてからは、もう、迷いませんでした。
そのときには結婚していたので、1店舗で確実に30万円儲かる商売を夫婦で一緒に探しました。できれば、競合が入りづらいものがいいし、私の好きな飲食ならなおよし。儲ける額を決めて見わたすと、結構色々ありました。10万円儲かる店舗を30店舗でもいいわけです。とにかくアンテナは立ちまくりで、その「何か」を見つけようと躍起でした。結果的には、デリバリーピザが、そのアンテナにびびっと反応することになるわけです。
――もう一つはなんでしょうか。
淺野 二つめは、「ギブ&ギブできるようになりたい」という思いが湧いたことです。なぜ上手くいかないのだろうと考えていたとき、それまでの自分は「テイク&テイク」だった、と気づきました。人に会うときは、「何か儲かる仕事ないかな」と思いながら会う。お会いする社長さんたちはそれはもう大先輩ですから、お見通しです。「こいつ、困ってるんだな」と。それで助けていただくこともあり、とてもありがたかったですが、相手からテイクしようというだけでは、成功できるはずがなかったのです。そうではなくて、自分が「ギブ&ギブ」できるようにならなければ、と思い至りました。
このときに誓った思いは、現在の経営にも生きていると思います。たとえば「ピザーラ」のフランチャイズにおいては、どのようにすればお互いにとって最も幸せかを徹底的に追究しています。美味しいピザの焼き方など、研究に研究を重ねて編み出した技術をどんどん提供し、その結果、上げていただいた売上はCMに使うなどして、再び店舗へ還元できるようにしています。会社が儲かればそれでいいのではなく、「ピザーラ」ならば「ピザーラ」を通して、フランチャイズ経営者の方からお客様まで、関わる人すべてに幸せになってほしいと願っています。
――被災地でのご活動もされていますね。
淺野 被災地では、キッチンカーやバイクを走らせています。「ピザーラ」のバイクは三輪で、被災地で物資を運ぶのに適しているのです。だから、使わなくなったバイクを寄付しました。「ピザーラ」がない地域で「ピザーラ」のバイクが走っていることがあるのは、そのためです。また、キッチンカーとは、トラックを改造してピザを焼くオーブンや冷凍・冷蔵庫を搭載したものです。これが今、全国に9台あって、災害時に食事に困る地域が発生すると走らせています。
ピザは、なんといってもすぐにできるのが魅力です。それも、短時間で大量に作ることができます。このキッチンカーは、フル稼働すれば1台1日で2~3千食ものピザを作れるのです。それに、出来立てのアツアツを召し上がっていただける。これがすごく喜んでいただけるのです。お弁当やおにぎりだけでは、1週間で飽きてしまいますよね。アツアツのピザでひと時でも笑顔になっていただければという思いでやっています。
「ピザーラ」のキッチンカー
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『E.T.』とデリバリーピザ。 運命の出合いは映画館で >
更新:11月24日 00:05