2016年09月30日 公開
言葉遊びを仕込んだ小説というと、筒井康隆の『残像に口紅を』など、いくつか思いつくものがある。しかし、どれも大概そのアイデアに感服したり、「この制限の中でこれだけの文章を書くなんて」と作家の文章力に感銘を受けたりするもので、技巧を凝らした言葉遊びに感動しながらも腹を抱えて笑ってしまったのは、本作が初めてである。
短編集で、どの作品も読みごたえ抜群だが、中でもとくに「鬼八先生のワープロ」は傑作だ。文芸評論家が、敬愛する作家である伴鬼八先生のワープロを借りて原稿を書くことになった。ところがそのワープロは、持ち主がよく使う表現に合わせて漢字変換されるため、辛辣な文芸評論文を書いているはずが、鬼八先生の小説(元ネタは団鬼六先生である、ということから作風はお察しいただきたい)のような文章になってしまう……という内容である。
本来入力されるはずの文章と、誤変換された文章が対比して書かれるので、つい一字一句突き合わせてみたくなる。また、それに対して評論家が興奮しながらツッコミを入れつつ過剰反応する様子は、コントのような可笑しさだった。
そもそも著者・深水黎一郎のデビュー作は、「読者が犯人」という不可能なはずのトリックに挑戦したミステリ。デビュー作も含め他にも何冊か読んだが、作風の幅が広く、作品によってこれほどイメージが変わる作家も珍しいと感じた。豊富な語彙に加えてさまざまな表現力を持つ著者だからこそ、こういう「普通じゃない」小説を世に送り出してくれたのだろうか、と思う。
執筆:THE21編集部 Nao(「小説」担当)
更新:11月23日 00:05