2016年08月15日 公開
2021年02月18日 更新
現在、日本全国でブームになっている「観光列車」。JR、私鉄問わず、それぞれ工夫を凝らした列車が続々誕生している。そのブームの先駆者とされているのがJR九州だ。「ゆふいんの森」「A列車で行こう」「指宿のたまて箱」といったユニークな列車から、日本初のクルーズトレイン「ななつ星in九州」まで、常に斬新な列車を世に送り出してきた。特に「ななつ星」は運行開始から2年以上経った今も、予約がなかなか取れないプラチナチケットとなっている。これらユニークな発想はどこから生まれたのか。近著『鉄客商売』にて「ななつ星」誕生と成功の秘密を著した、JR九州の唐池恒二会長にお話をうかがった。
国鉄の分割・民営化により誕生したJR九州。JR北海道、JR四国とともに、その沿線人口の少なさから苦戦が予想されていたにもかかわらず、数々のユニークな列車の運行や、鉄道事業に留まらない多角的な経営により業績を改善し、ついには上場を目前としている。その成功の要因を聞いたところ、意外な答えが返ってきた。
「鉄道ファンには怒られてしまいますが、実は私はそもそも鉄道があまり好きではないのです。旧国鉄に入ったのも、先に国鉄に就職していた柔道部の先輩に餃子を大量におごってもらったから。今思えばずいぶん安い契約金でした(笑)。
ただ、だからこそ鉄道好きではない人の気持ちがわかる。たとえばSLを復活させるにあたり、鉄道ファンからは『昔のままの姿で』と要望が来るわけですが、私は鉄道ファンではないから聞き流してしまう。むしろ『どうしたら若い女性や親子連れに乗ってもらえるか』を考え、現代風にリニューアルするわけです。
以前、記念切符を何度か発売しましたが、そのたびにファンが買ってくれるので、1000枚は必ず売れる。でも、それ以上は売れない。ファンだけをターゲットにしていても限界があることを思い知らされました。でも、鉄道ファン以外を取り込めば、市場は一気に1000万人以上に広がるのです」
こうした発想が重要なのは、そもそもJR九州が「鉄道だけでは勝負できない」からだったという。
「九州には山手線や東海道新幹線といったドル箱路線はありません。何もない中での、逆境からのスタートだった。だからこそ、新しいことに挑戦するしかなかったわけです。ならば、今までの鉄道会社の枠にとらわれず、新しいチャレンジをしていかなければ生き残れない。そんな危機感が、今のJR九州の社風を作っていると思います」
唐池氏自身、鉄道以外の多くの事業に携わってきたが、その経験がまた鉄道事業にも活かされている。何より「ななつ星」は、鉄道以外の経験があったからこそ生まれたという。
「私はよく『自分には二つのふるさとがある』と言っています。一つが1991年に就航した博多―釜山間の高速船『ビートル』の事業立ち上げです。鉄道会社の社員がなんのノウハウもない海運に乗り出したのですから苦労もありましたが、多くの方の協力で、成功に導くことができました。
もう一つが、1993年から7年あまりにわたって手がけた外食事業。お客様に対するおもてなしやサービスの要諦を徹底的に学びました。この二つの経験から学んだ、『チャレンジする気持ち』と『サービスの重要性』が、ななつ星の原点です」
「鉄道以外」を知っているからこそ、鉄道事業の魅力も高まる。その意識は今や、全社員に根づいているという。
「JR九州では、ほとんどの社員が鉄道以外の業務に一度は出向します。むしろ、ずっと鉄道事業のままだと『俺、出世コースから外れたんじゃないか?』と不安になるそうです。こんな鉄道会社、他にないですよ」
更新:11月04日 00:05