2016年03月21日 公開
エステーをV字回復させた鈴木喬氏は、40代まではまったく異業種の日本生命に務めていた。しかも、30代までは会社から評価される人材ではなかったという。いったいどのようにして、鈴木氏はリーダーとしての成長を遂げたのだろうか? 40代の頃のお話をうかがった。
63歳でエステーの社長に就任し、『消臭ポット』『消臭力』『脱臭炭』などの大ヒット商品を世に送り出した鈴木氏。商品数の大幅削減や不良在庫の処分といった大胆な経営改革を実行し、不振に陥っていた業績を見事に立て直した。今でこそ辣腕経営者として名を馳せる鈴木氏だが、40代までは日本生命でサラリーマン生活を送り、50歳でエステーに入ったときも肩書きはヒラの部長だった。その強烈なリーダーシップは、どうやって身につけたのだろうか。
「リーダーシップとは何か。それは、周囲を『この人の言うとおりだ』と納得させることです。そのためには、『このオッサン、怖いな』と思わせないと(笑)。リーダーはナメられたら終わりです。
僕がエステーに移って営業統括部長になったとき、最初に支店長たちに言ったのは『うちの商品は絶対に取り扱わないと言っている一番難しいところへ連れて行け!』でした。でも支店長は『あのお客様は無理です』と言う。そこで、僕が目の前で電話をかけ、アポを取ってみせるんです。そして支店長を連れて営業に行き、『うちの商品を扱ってください!』と土下座する。するとお客様は度肝を抜かれて、『そこまでするなら』と話を聞いてくださる。これが突破口となり、その後の売上げに結びついていきました。
これを見せられた支店長は、『自分ができなかったことを、あの部長はやった』と納得するしかない。さらに、各支店長の間で『今度の営業部長はすごいらしい』と情報が回る。それで誰もが必死に営業して、短期間でエステーの売上げは急増しました」
一見すると強引に思えるかもしれない。だが、「結果さえ出せば周囲は納得する」という確信は、40代の頃の経験がもたらしたものだった。
「40歳のとき、日本生命の上層部を説得して、法人営業部を立ち上げました。当時、日本生命は個人保険では日本一でしたが、企業保険は手つかずでした。それで、50枚ほどの論文を提出し、『わが社が世界一の保険会社になるには、法人営業の専門部隊を作るべきだ』とぶち上げたのです。その提案がとおり、新しい部署が作られて、僕は課長の肩書きをもらいました。
ところが、僕はそれまで営業をやったことがなかった。経験がないぶん知恵を絞って、『大口の顧客を攻めよう』と戦略を立てました。社員が100人の企業より1万人の企業のほうが、リターンが大きいですから。
そして、営業先の有価証券報告書や附属文書を徹底的に読み込みました。さらに、その会社を取り上げた新聞や雑誌の記事にも隅から隅まで目を通しました。そのうえで、営業先の財務担当者を相手に、『御社の資金の借り入れについて、私は3つの疑問を抱いています』などとズバッと指摘したのです」
すると相手は、「自分の仕事に何か問題があったのだろうか」と不安になる。
「そこで、『その点について、ぜひ上の方にお目にかかってご説明したい』と言うと、たいていは会わせてくれます。そうやって、相手の役職が部長、役員と上がっていき、最終的には社長へのセールスに成功しました。
僕は相手の会社のことをすべて勉強しましたからね。どんな経営課題についても、『なぜ、あの決断をしたのですか?』『今回の人事には、このような問題があるのではないでしょうか』といった話ができるのです。すると、相手は『うちのことをなんでも知っているなんて、薄気味悪いやつだ』と思う。それでいいのです。そうやって思わせておけば、僕が『またお目にかかりたい』と言えば、必ず時間を取ってくれます。
営業で難しいのは、2回目に会う約束を取りつけることです。何かしらのコネがあれば、誰でも一度は会ってくれますが、その先に進めないケースがほとんど。その壁を、僕は相手を徹底的に知ることで突破したわけです」
更新:11月22日 00:05