2016年02月11日 公開
書店は、こうした「ムダ知識」を得るのに最適の場所です。しかも、「普段気づいていない関心」の所在が、書店に行くと見えてくるのです。
人は、自分が「何を知りたいか」を意外に知らないもの。外部から刺激を与えられて初めて、それに気づきます。書店は、その刺激を提供する場所です。
スペースが限られている以上、品数はネット書店に及びません。しかし、その限られたスペースを「見渡せる」点が強みです。私たちが経営している書店「B&B」も広さはおよそ30坪と、5分もあれば回れてしまうスペースです。しかしその中に、古典から生物、スポーツ、ビジネスまでこの世の中を構成している情報や知識のジャンルが一通り揃っている。つまり、一巡すれば世界一周ができるのです。
そのうちふと、なぜか目につく本、気になる本が出てくる。それが、隠れた好奇心を刺激されたということです。ネットで本を検索してもそうした現象は起こりません。「こんな本が欲しい」という、すでに気づいているニーズが満たされるのみです。
ですから、「なんとなく面白いことに出合いたい」というときは書店に行くに限ります。自分の興味のかたち、思考の方向性、埋もれていた感性などが、書棚の間を散策するうちに見えてくるでしょう。
もちろん、それらの情報がすべてビジネス上の成果に結びつくわけではありませんが、「ムダ知識」が多い人ほど発想が豊かで、高いパフォーマンスを挙げられることは事実です。
しかしそうした人は「成果につなげる情報(本)を得よう」と思って本屋めぐりをするわけではないと思います。私自身の本屋めぐりも、明確な目的を持つものではありません。そして買う本も、仕事に直結しないものがほとんどです。
たとえばH・ペトロスキーという人の書いた『フォークの歯はなぜ四本になったか』。身の回りのさまざまな品の歴史をひもとき、その形やデザインに落ち着くまでの背景を語る1冊です。人々が日常の中で当たり前に使っているモノの背後にある物語、その形であることの必然性を知るのは刺激的です。
もちろん、それはアイデアを喚起するきっかけにはなりますが、それ自体を目的にはしていません。ただ楽しみと好奇心の赴くままに読んでいますし、それで良いと思っています。
こうした考え方が、今の世の中では薄れてきているように思えます。本を選ぶときに「役に立つか」「スキルアップできるか」「出費する価値があるか」と考える人が非常に多いですね。本のみならず、あらゆるコンテンツをコストパフォーマンスで考える価値観を感じます。
最近では、本以外にもこの傾向が見られます。「この映画は『泣ける』」という言い方はその典型例。先日、「この音楽は『使える』」という表現をする青年がいて、驚くとともに少々味気ない思いを抱きました。知性や感性を豊かにすることに、即効性を求めるべきではないと私は思います。あてどない散策や迂回の中で得たものこそ、その人の知識や人となりに深みを与えるのではないでしょうか。
更新:11月22日 00:05