(謀攻篇)
「100回戦って100回勝ったとしても、それは最善の策とは言えない。戦わないで敵を屈服させることこそが最善の策である」という意味の言葉です。
今は競争が激化し、企業も人も生き残りが難しい時代です。競争には法則があり、その一つが、「競争はエスカレートする」ということです。日本のものづくりで言えば、値引き合戦やスペック競争が典型でしょう。値引き合戦が行きすぎて互いに消耗したり、過剰なスペックを追求した結果、利用者が使わない機能がどんどん増えていくというのはよくある話です。
1対1の競争なら、相手を倒せば勝つことができます。しかし、多数のライバルがひしめく中では、競争によって自社がボロボロに消耗した果てに、勢いのいい第三者に漁夫の利をさらわれかねません。日本でも、国内の競争に目を奪われているうちに、海外からの「黒船」の進出で大きな打撃を受けたというケースは、枚挙にいとまがありません。
だからこそ、自分が消耗し切らないかたちで勢力を広げたり、成果を上げることが大切だというのが孫子の考え方なのです。
さらにつけ加えると、この言葉は、「戦わずに成果を上げられる土俵を持っておくことの大切さ」も示唆していると私は考えます。戦わずに成果を上げられる土俵とは、つまり他社が真似できない領域のことです。たとえばデジタル化できない職人技、複雑な要素が絡むシステムなどは、他社が真似しにくい、持続的な強みになるはずです。
(作戦篇)
前項で競争には法則があると書きましたが、もう1つの法則は、「競争は一方的に終わらせることが難しい」ということです。
一度争いが始まってしまうと、途中で「俺、もうやめた」と一方的に宣言したところで、終わらせることは容易ではありません。争いを止めるには、両者が終結に同意するか、片方が白旗を上げるか、もしくは第三者の仲介が必要になります。なぜなら人間は、争いごとに足を踏み入れると、目の前の相手を倒さなければ自分の未来がないように感じてしまうからです。
争いが長期戦になれば互いにボロボロになり、第三者に漁夫の利をさらわれかねません。だからこそ、争いごとは終わらせ方を考えておくべき、というのが孫子の考え方なのです。この言葉そのものの意味は、「短期決戦に出て成功した例は聞いても、長期戦に持ち込んで成功した例は聞かない」ということです。つまり、短期決戦で終結できる争いごとだけ始めてよい、ということです。
ただし、こちらが短期決戦を望んでも、争いごとはどう転ぶか予測できません。だからこそ、戦いを始める前から、「このような状況になったら和解する」などの「落としどころ」を考えておくことが大切なのだと、私は解釈しています。
これは夫婦喧嘩にも当てはまりそうです。喧嘩は些細な理由で始まりますが、ずるずる長引くうちに、奥さんに「実家に帰らせていただきます」と言われてしまう……。ここでも早めの落としどころが肝心ですね。
(軍形篇)
一般的に、競争は勝ち負けで考えますが、孫子はこの間に「不敗」、つまり勝っても負けてもいない状態があると考えました。これは、私たちの人生を考えるうえで非常に重要な考え方です。
以前、「勝ち組」「負け組」という言葉が流行りましたが、人生をこの二分法で考えると、非常に息苦しくなります。ややもすると、ほとんどの人が「負け組」に入ってしまうでしょう。
一方で、勝ってはいないけれど、負けてもいないと考えれば、見方は変わります。不敗の状態を保ち続けていれば、いずれ勝つチャンスがやって来るかもしれません。
これもビジネスにおける競争で考えてみるとわかりやすいでしょう。ライバル企業同士が1対1のシェア争いの渦中にいるとします。お互いの経営資源や戦略、社員の実力が似たり寄ったりなら、シェアも五分五分のはず。この状態がつまり、不敗の状態です。
ところが、ライバル会社が不祥事や内紛を起こして自滅すれば、こちらにとってはチャンス。機に乗じて大きくシェアを伸ばし、ライバル企業を突き放すことができるでしょう。
そこでこの名言です。これは「不敗の状態は自分の努力次第で維持・構築できるが、勝てるかどうかは敵次第」という意味です。大事なことは、勝ちを焦らず、「不敗」の状態を維持しておくこと。そうすればいずれ敵が崩れてチャンスが到来したとき、すかさずそのチャンスをつかみ取り、勝つことができるというわけです。
次のページ
朝の気は鋭 〈えい〉 、昼の気は惰 〈だ〉 、 暮れの気は帰 〈き〉 。 >
更新:11月22日 00:05