2026年10月29日 公開

ゴディバ ジャパン代表、ジェローム・シュシャン氏が、日本市場で成長を遂げ、
※本稿は、ジェローム・シュシャン 著『挑戦するブランド、ゴディバ』(Gakken)の内容を一部抜粋・編集したものです。
ーーそもそもゴディバが目指しているのは、「お客様にハピネスをお届けする」という会社の理念なのだそうですね。そのツールとして、ゴディバの商品がある。ゴディバの商品を通じて、お客様にハッピーをお届けしたい、と。社長就任後、これを強く打ち出されたと聞きました。
【シュシャン】もともと会社の理念はありましたが、まだ具体的な言葉として明確にはなっていませんでした。それを社員一人ひとりが実現できるよう、ゴディバ ジャパンではいくつものトレーニングセッションを行いました。その一つで強く印象に残っているのが、2013年に行った合宿です。
40人ほどの社員を集めて、みんなでディスカッションをしました。そのときに出てきたのが、「We Create Memorable Occasions of Happiness」という言葉です。これをみんなで目指そうということになりました。
そのときに実施したのが、「自分の実現したいゴディバの5年後の姿を描く」というものでした。5~6人のチームに分かれて、ゴディバが5年後こうなっていてほしいというものを、絵にしてもらいました。
ーー文字で5年後を考えてもらうのではなくて、絵だったのですね。
【シュシャン】文字だと理屈っぽくなってしまいかねないからです。こんなことを書いたらどう思われるか、とか、そんなのあり得ないと言われてしまわないか、という方向に頭が向かってしまう。そうすると、思い切ったアイデアが出てきません。
絵だともっと自由に発想できると思いました。理屈から解き放たれて、夢へと発想を広げられる。論理的なアプローチとは、違うものが出てくると考えました。
このセッションは、英語で「A Way of Dreams」と名付けました。そして、将来への夢を遠慮なく描いてもらいました。すると、びっくりするようなものがたくさん出てきたのです。
例えば、ゴディバ ジャパンが本社になる、というもの。当時は、グローバルのゴディバが本社機能を果たしていて、我々ゴディバ ジャパンは日本市場を見る支社的な立ち位置でしたので、自ら本社機能を持って独自で運営していく、というのは新しい発想でした。外資系企業の日本法人が本社になりたい、ということはまず想像しないことですから、この発想は驚きでした。
もちろん当時は、実現できるなんて夢にも思いませんでしたが、後に2019年に本当に実現することになります。これには私もびっくりしました。
また、自分たちの工場を持つ、ということも描かれていました。実はこれもその後に実現します。2019年に、ベルギーの工場も統括することになりました。
絵の横には、文字も添えられたりしていました。「anytime, anywhere, GODIVA」。「Be happy with GODIVA」。そしてよく見ると、カフェが描かれていたりしました。まだGODIVA caféをオープンする前のことです。これもまた、2020年に実現しました。
ホテルゴディバと書かれているものもありました。ただこれはまだ、実現していないですね(笑)。
ハピネス、スマイル、みんなを幸せに、そんな言葉が並んでいます。ゴディバが大事にしたいことを、みんなが再確認することができました。そして、みんなで夢を描いていくことができたのです。
理念を絵にするセッションは、ほかの会社にもぜひお勧めしたいです。文字ではなく、絵にするのがポイントです。理屈で考えなくなるからです。
ーーそして、世界のゴディバの売り上げのうち、日本のシェアがナンバーワンにまでなっていきます。そもそも、なぜゴディバは日本人にこれほど受け入れられたのでしょうか。
【シュシャン】ゴディバが日本に進出したのは、1972年。その後、日本は大きな経済発展を遂げることになります。このとき、多くの日本人ビジネスパーソンが世界中に出張に行きました。そして、日本に戻ったときに海外のお土産を持って帰りました。
実はそのお土産として人気だったのが、ゴディバだったのです。どんな家庭でも、お父さんが出張から帰ってくると家族はハッピーでしょう。そしてそこにゴディバがあった。ニューヨークから帰ってきても、ミラノから帰ってきても、ハッピーな瞬間にゴディバがあったのです。
そうした目に見えない幸せなイメージが、ゴディバのイメージとして浸透していったと思っています。これが一つのポイントですね。
ーーということは、ほかにもポイントがあるのですね。
【シュシャン】もう一つは、日本市場におけるプレミアムチョコレートのパイオニアだったことではないでしょうか。1972年当時、チョコレートは一般向けの商品がほとんどで、パッケージされた板チョコが50円前後という状況でした。
そこに、1粒で100円以上という高級なチョコレートが現れた。これが一つの話題になったのでしょうね。その走りがゴディバでした。
日本はその後、経済成長が進み、百貨店もどんどん華やかになり、バレンタインデーのブームも広がっていきます。
ーーたしかにバレンタインデーの需要は大きかったと思います。
【シュシャン】実はバレンタインデーやホワイトデーにチョコレートをプレゼントするという習慣は、ヨーロッパやアメリカには同じような形ではありません。お互いにプレゼントを贈り合うことはありますが、女性から男性に、または男性から女性に、と決められていませんし、チョコレートだけを贈るという習慣もありません。
日本のバレンタインデーの習慣は、チョコレートメーカーと消費者が楽しみながら作り上げてきたユニークなイベントです。そして、チョコレート市場も大きくなっていきました。
ゴディバは、日本に進出した当初はベルギーで開発された商品を輸入して販売していました。しかし、これはやがて変わっていきます。バレンタインデーやホワイトデーは、商品企画もデザインも、日本のゴディバが主導していくようになっていきました。
日本で開発され、企画されたバレンタインのコレクションが、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなど世界中で販売されるようになりました。日本のチョコレート市場には、世界中のゴディバが注目するようになりました。
そしてバレンタインデーの市場もどんどん変わっていきます。かつては贈り物が中心だったものから、やがて自分のためにも買うという変化も、その一つです。
更新:10月29日 00:05