
生成AIを使えば、調査や資料作成にかかる時間を大幅に短縮できます。しかし、生産性が上がることと、アウトプットの価値が高まることは同じではありません。
楠木建さんと山口周さんは、「自分の知的成果物は受け手にとってどんな価値があるのか」という視点の重要性を指摘します。AI時代に求められる「価値ある仕事」とは何か。書籍『知的生産のセンス』より、一節を紹介します。
※本稿は、楠木建, 山口周著『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)より内容を一部抜粋・編集したものです
楠木:調べ物をするには生成AIは本当に便利です。最近、あることを考えるときに調べる必要があって、「消費税率の国際比較をして」と頼みました。僕は生成AI のヘビーユーザーではないので、使っているアプリケーションはごく普通のものです。最低水準の課金しかしていません。それでも1年前とは雲泥の差です。
詳細な国際比較とその推移だけでなく、関連する既存の論文のリストも出てくる。「グラフにして」と頼めば一発で出てくる。生成AI 以前と比べて同じことをやるのに要する時間は10分の1以下です。
しかし、この種のことはすべて「作業」です。しかも、アウトプットでなくインプット。変換なり出力のための材料を仕入れているにすぎない。ここで重要な問いは、なぜ僕が消費税率の国際比較を必要としたのか、です。インプットは、それが使われるアウトプットの文脈に置いて初めて意味を持ちます。
自分の主張を補強する材料として消費税率の国際比較が必要だったから調べたのですが、そのデータがどんなに正確で詳細であったとしても、どんなに見やすく分かりやすいグラフが出てきたとしても、消費税率の国際比較は知識としてはコモディティです。それ自体には何の価値もありません。
このところ仕事で回ってくる資料を見ていると、投資ファンドやコンサルティングファームのパワーポイントに生成AI をフル活用して作成したと思われるものがずいぶん増えました。
その手の資料にはいくつかの特徴があります。第一に、トンマナ(トーン&マナー)がきっちり統一されている。第二に、図や表、イラストや写真イメージをふんだんに使っている。第三に、情報量が多くて長い。平気で100 ページ以上の資料が出てくる。第四に、平板でメリハリがない。
端的に言って、つまらない。資料を読んだだけでは、メッセージが伝わってこない。資料を使った説明を聞いてもいよいよ分からない。そもそも話すほうが何を伝えたいのか分かっていないのではないか、とすら思えます。
即座にプレゼンテーション資料を作成できるとしても、それはアウトプットの価値とは何の関係もありません。この本の冒頭でお話しした「プレゼンテーションのスキルはバッチリなのに、話がまるで面白くない」―センスの劣後に拍車がかかっているという印象です。
山口:「知的生産のアウトプット」について考える上で「価値」というのは重要なキーワードだと思います。これは前々から思っていることなんですが、知的生産に限らず、広く「生産性」について議論するとき、「需要」という視点が抜け落ちているように思うんですね。「生産性」は「供給」に関する関数ですが、じゃあ「需要」はどうなってるの?ということです。
例えば、ここに一軒の「味がイマイチのラーメン屋」があったとして、その店が生産性を倍に上げたところで何か変わるかといったら、何も変わらない。需要が増えていないんですから当たり前です。
知的生産も同様で、多くの人は生産性を上げるためのさまざまなテクニックやスキル、つまり「供給側の視点」で考えているけれども、そもそも「自分の知的成果物は受け手にとってどんな価値があるのか?」という「需要側の視点」を持っていない。しかし、それまで「イマイチの知的アウトプット」を出していた人が生成AIを使って生産性を倍にしても、単に「イマイチの知的アウトプット」が倍、出てくるだけで何も変わりません。
この「アウトプットの価値」について、以前、楠木先生から伺った話で、印象に残っているのが「楠木先生が経営戦略についてお話をされると、もう断らなきゃいけないくらい人がたくさん集まる。けれども、ご自身のバンドのライブをやると、毎回、人集めに苦心されている」というお話です。
楠木:その理由ははっきりしてます。僕のバンドのライブに価値がないということです。
山口:価値がないから人が来ない。身も蓋もないですね。しかし、なぜ経営戦略の話には価値があるのに、ライブの演奏には価値がないのですかね?
楠木:「客のためにやってないから」です。つまり、僕にとってバンド活動は自分を喜ばせるための「趣味」なんですね。
「知的生産だ」「アウトプットだ」と言っていても、自己満足のため、あるいは働いているという証拠を残すため、というように自分自身が「お客」になってしまっていることが少なくありません。僕の定義では、こういうのはすべて趣味です。自分のためにやるのは趣味、自分以外の誰かの役に立って初めて仕事になる。これが僕の仕事の定義です。
その点、僕のバンドはアマチュアバンドの王道で、やっているほうが一方的に気持ちよくなることを目的にした活動です。だからお客さんからすると価値がない。問題は、ライブに来てくださる方が多いほど、やっていて気持ちいいということです。あからさまに矛盾しています。以前はチケット代をお支払いいただいていましたが、それではあまりに心苦しい。精神的に不健康なので、最近はバンドでライブハウスを半日借り上げて、ノーチケット(無料)で来場いただくようにしています。
山口:もう、いただくのは「時間」だけだと。
楠木:入場無料で、「もし気が向いたら投げ銭をしてください」というやり方です。もちろん任意なのでゼロでもOK。本来であれば、こっちが気持ち良くなるためにやっているんですから、こっちがお越しくださったお客さまにお金を払うべきなのですが、現実にそこまではできないので、せめて無料にするのが筋だということです。
山口:そこは微妙な部分もあると思うのです。確かに「仕事と趣味」という整理は、それはそれで分かるんですが、例えば先日、久しぶりにビートルズのシェイ・スタジアムでのライブ映像を見ていたんです。あれは世界で最初にスタジアムをコンサート会場に使ったプロジェクトでしたけれど...。
楠木:今と比べてかなり貧弱なアンプやPA(音響設備)であれだけの規模のコンサートをやったことが驚きですね。
山口:そうそう。6万人とも7万人とも言われる観客の前でビートルズの4人が汗だくになって演奏しているんですが、映像を見ていると、観客と同じくらいに、バンドのメンバーも楽しんでやっていたように見えるんです。つまり、あの時のビートルズが「客のために仕事としてやっている」と言えたかというと、なかなか微妙な評価になるんじゃないかなと思うんです。
楠木:そこは、とても重要な論点だと思います。結果として受け手の側に価値がないと、仕事にはならない。でも、それはあくまで「結果」なんです。動機は「自分たちが面白い・気持ちがいいからやっている」。この「動機は自分、評価はお客」という組み合わせがベストだと思います。
以前に周さんに教えていただいた『マーシャル・マクルーハン広告代理店。ディスクガイド200枚。小西康陽。』(学研プラス)を読んでみました。小西さんは筋金入りの音楽マニアです。自分の趣味全開のセレクションになっている。それでも小西さんは「ミュージシャンの理想はポール・マッカートニーだ」と言っています。なぜか。「自分が良いと思う曲を好きなように書いて、それが結果としてものすごく多くの人々に好かれたから」―僕の考えもまったく同じです。
いくら仕事だからといって、アウトプットを出す時に「ウケ」を狙いに行くとダメだと思うんです。動機は自分の中にしかない。動機からしてお客の評価になってしまうとロクなことにはならないというのが僕の考えです。
なぜならば「評価されたい」は自分を向いた趣味に他ならないからです。年季の入った喜劇役者の伊東四朗さんはこう言っています。「喜劇を演ずるときにみんなが陥りやすいのは、とにかくウケようとすることなんですね。僕は、結果としてウケなきゃいけないと思う」―仕事の核心を衝いています。これが難しいんですね。
山口:アウトプットの価値を決めるのは相手側だけれども、かといって相手側の評価軸に乗って、いうならば「ウケを狙って」アウトプットを出そうとするとうまくいかない。例えば音楽もお笑いも非常に多様ですが、それは評価の軸もまた多様だということですね。
一方で「ウケを狙いにいく」と、すでに誰かが評価されている軸に自分を乗っけることになるわけですから、後発では勝てないということになる。世の中の「ウケ」に当てにいくのは戦略としては悪手だということですね。
更新:09月18日 00:05