2025年10月09日 公開
辰野氏自らミシンを踏み、小さなオフィスから始まったモンベルは、2025年に創業50周年を迎えた。スイスのアイガー北壁を、当時世界最年少の21歳で登頂し、極限状態を知り抜いた冒険家が、どのような思いで会社を立ち上げ、経営に臨んだのか。リーダーが失ってはいけない覚悟とは何か、を聞いた。(構成: 三枡慶、写真撮影:五十嵐邦之)
※本稿は、『THE21』2025年11月号の内容を一部抜粋・再編集したものです。
――まず辰野会長が、登山、そして山の仕事に関わるようになったきっかけを教えてください。
【辰野】登山を志したのは、高校の国語の授業で読んだ、ハインリッヒ・ハラーのアイガー北壁登攀記『白い蜘蛛』がきっかけでした。オーストリア人登山家で、仲間3人と共にアイガー北壁の初登頂を果たしたハラーがまとめた登山の記録です。この本に触れたときに、進む道が決まったと言っても過言ではありません。
私は「日本人としてアイガー北壁の初登頂を果たす」ことと、あと明確な根拠があったわけではありませんが、「28歳になったら山に関わる仕事で独立する」という目標を立てました。
実際、高校を卒業してからは、登山用品専門店に就職して、道具の知識や登山の経験を積み重ねていきました。そして1969年に4カ月の休暇をもらって、21歳でアイガー北壁に挑んだんです。日本人初という目標は叶いませんでしたが、登頂に成功し目標を果たしました。
――アイガー北壁制覇後、しばらくしてモンベルを起業されていますね。
【辰野】実は、創業に至るまでには紆余曲折がありました。帰国後に登頂の実績と経験を活かして登山教室ができないかと考え、勤め先の社長に掛け合って了承を取りつけました。
日本人としてアイガー北壁を初登頂した高田光政氏、私のアイガー北壁登頂パートナーの中谷三次氏、そして私。実績十分の講師陣による実践的な訓練内容で生徒も集まりました。この時点では、28歳になったら独立して自分で登山学校を始めようと思っていたほどです。しかし教室を始めてまもなく、意見の食い違いから登山用品店を退職してしまいました。結婚直後の23歳のときです。
その後、お客様の誘いで総合商社へ。そこでは素材や生地を仕入れてメーカーに納入する業務を担当し、繊維メーカーと共同で素材開発にも携わりました。そうした中、頑張って素材開発をしてもメーカーが採用しなければ商品にならないもどかしさを感じ、自分で物づくりをしようと決意。28歳の誕生日に独立し、モンベルを設立したのです。
――モンベルの創業期は、どのようなものだったんですか?
【辰野】資本や後ろ盾もなく起業したため、それまで培ってきた知識や経験を駆使して「考えること」「工夫すること」が不可欠でした。
幸いなことに、創業当初にデュポン社から「ダクロン・ホロフィルⅡ」という手触りが良く、コンパクトになり、保温性も高いというポリエステル繊維の独占的な供給を受けることができました。この素材を用いて開発したスリーピングバッグ(寝袋)は大ヒットとなりました。
その他にも、合成ゴム「ハイパロン」でコーティングした高い防水性と耐久性を持つレインウェアなど、登山という過酷な状況下で命を守るための製品の開発を、最先端の素材で実現してきたのです。
今やモンベルの基本姿勢となっている「Function is beauty(機能美)」や「Light & Fast(軽量と迅速)」という考え方も、この創業当時から積み重ねてきたものです。現在では、素材メーカーからの供給を受けるだけでなく、「ジオライン」や「ウイックロン」など自社開発素材にも取り組むようになりました。
――順調なスタートを切られたようですが、これまでの歩みで失敗やご苦労はありましたか?
【辰野】私は「失敗はない」と考えています。失敗と捉えると、そこで物事が完結してしまい成長はありません。しかし、「不都合」だと解釈すれば、是正・修正方法を考えて前に進めます。そうやって、自分の取り組みを少しずつ正解にしていく姿勢を大事にしてきました。
一方で、私は「やらないことで後悔したくない」と常に思っています。だからこそ、若い頃にアイガー北壁に挑み、28歳で独立起業しました。自分の道は、自分で考えて選択して進む。そうやって後悔しない人生を生き抜きたいと願っています。それは経営においても同じです。
――そうしてモンベルは今年創業50年を迎えました。組織をずっと率いてこられた今、リーダーに求められる力は何だと思われますか?
【辰野】「決める力」ですね。ただ、決めると言っても「決裁」と「決断」は違います。決裁は、囲碁や詰め将棋と同じで過去の経験則から定石が決まっていて、その通りに判断をするものです。
一方、決断とは、これまでに経験のないことに直面し、これからどう進むかを自ら判断することです。簡単な選択ではありません。しかしリーダーにはその力が求められます。
山で言えば、風や雨といった予想外の状況に向き合い、進むべき道を選ぶこと。ただ登山では命を守る判断が最優先ですが、ビジネスではあえて困難な道を選ぶこともあります。
そのときリーダーが忘れてはならないのは、「無謀」と「冒険」は違うということです。私の考える冒険とは、成功の可能性が51%以上あること。リスクを上回る成功の可能性があってこその冒険なのです。そうでなければ、それはただの無謀となります。
ただ、この「リスクの度合い」は決断する人の力量や経験値によって変わります。また、そもそも直面するリスクの大きさを正しく見極める目を養うことも重要です。リーダーは、正確なリスクを確認して、成功の確率が上回っていてこそ、大胆に冒険を選ぶことができるのです。
創業5年目、モンベルのオールスタッフ(中央が辰野勇氏)
――困難な道を選ばれても、メンバーはそれについてきてくれるものですか?
【辰野】リーダーとは、方向をつける人です。自分自身が楽しそうに、面白い方角を「決断」というかたちで示し続けることで、まわりの人たちも自然と同じ方向を向いていきます。
ただ私のように、常に困難なほうを選ぶリーダーが組織に10人も20人もいては混乱します。そういう意味でトップリーダーは1人で十分。その1人が、しっかりと進むべき道を指し示すことが大切なのです。
そして何より重要なのは、自らの夢を楽しそうに示し続ける姿勢です。リーダーには、そうした前向きな姿勢と覚悟が求められます。
――組織が大きくなってきますと、色んなかたちで権限移譲が必要になると思います。
【辰野】確かにそうですね。かつては自分でミシンを踏んで商品開発を行なっていましたが、会社も規模が大きくなると、役割分担をしっかりと考えて、企画部門、営業部門、生産部門といったように、それぞれの部門のリーダーに権限委譲していくことが必要になります。ただ、先に触れたように、そのときにもトップリーダーの示す方向性が反映されていなければなりません。
幸いにしてモンベルには、「こうしたい」という私の思いを形にしてくれる優秀な人材が集まってくれました。しかし優秀な人材に集まってもらうには、やはり理念が欠かせません。理念に共感できるかどうかが、組織をつくる土台になると私は思っています。
モンベルでは、「7つのミッション」として自然環境の保全意識を育てることや、野外活動を通じて子どもたちの生きる力を育むことなど、単なる商品開発や販売の枠を超えて、社会課題の解決に取り組むことを企業理念としています。アウトドア活動が続けられる環境を守ることこそが、私たちの事業の大前提だと考えているのです。
――集まってくれた人材と思いを一つにしていくうえで、心がけていることは何でしょうか?
【辰野】入社してきた社員には、「モンベルに憧れて来てくれたことは本当に嬉しいが、実際に働いてみて合わないと感じたなら、無理に続ける必要はない」と伝えています。
職場選びはあくまで選択であって、正解も不正解もない。大事なのは会社も社員も互いに楽しく働けることです。
私は「何着売るか」や「売上を何億にするか」といった数値目標を、会社の目的にする気はありません。もちろん、社員が安心して暮らせる規模は必要ですが、競争は私たちの企業文化ではないのです。
むしろ、登山もビジネスも「登ろうとする行為そのもの」に意味があると考えています。毎日、自分の好きなことに夢中で取り組んでいるプロセス自体が、大事にすべきものなのです。
そういう考え方なので、社員に「頑張れ」と声をかけるときも、つらくても耐えて結果を出せ、という意味ではなく、「グッドラック」、楽しみながらやろうという意味で使っています。
ここが自分の居場所だと思って、定年後も再雇用で70歳、80歳まで続けたいと言ってくれるなら、それはとても嬉しいことです。私自身、会社はただの働く場所ではなく、自分の人生そのものだと思ってきました。だからこそ、そんな思いをこれからも共有していきたいですね。
【辰野勇(たつの・いさむ)】
1947年、大阪府生まれ。69年、アイガー北壁日本人第二登(当時世界最年少)を達成。70年、日本初のクライミングスクール開校。75年、登山用品メーカー・モンベル設立。91年、日本初の身障者カヌー大会をスタートさせるなど、社会活動にも力を注ぐ。京都大学特任教授、天理大学客員教授。近著に『経営と冒険』(日本経済新聞出版)がある。
更新:10月10日 00:05