2025年09月22日 公開
業績不振にあえぎ、社員から「ババを引いた気分です」とまで言われた社長。社長の変化のきっかけは、世界的経営コンサルタントに指示され、自らの「弔辞」を書いたことでした。人生の最期から逆算して見つけ出した、会社の本当の指針とは何か。理念を単なるお題目で終わらせず、社員が自発的に動き出すために必要なこととは何だったのでしょうか。
起業後、どん底の状態でいた私は、アメリカに渡り、世界的経営コンサルタントであるマイケル・E・ガーバー氏に「弔辞」を書くように指示されました。
そして、「弔辞」を書くことによって、私は、社員や家族、顧客から、出会えてよかったと、声をかけてもらえるような人生を歩みたい──そのために、私は経営をしているのだと、ようやく気づくことができました。
しかし、現実の自分の姿は、その理想からあまりにもかけ離れていました。
私は、社員の声に耳を傾けることなく、成果と数字ばかりを追いかけていました。売上が伸びない社員には、会議で名指しして「なぜできないんだ」「一体何をやっていたんだ」と詰め寄り、委縮させていました。
「人生のすべてをかけて働かなければ、成功なんてできるわけがない」
「社員全員が、私と同じように本気で働くべきだ」
──当時の私は、本気でそう信じていました。
だからこそ、定時で帰ろうとする社員を見れば「やる気がない」と決めつけ、語気を強めて叱責してしまう。自分の考え方や働き方に合わない社員に対しては、苛立ちをぶつけてしまう。結果、周囲の空気は張り詰め、組織はどんどん萎縮していきました。
私は「育てているつもり」でいたのです。しかし実際には、自分の価値観を一方的に押し付けていただけだったのです。
かつて辞めていった社員が、最後にこう言い残しました。
「社長に憧れて入社したけど、今はババを引いた気分です」
その言葉は、今でも胸に深く刺さっています。
自分の理想と現実のギャップに気づいたことで、私はようやく本当の意味で「経営者になる」というスタートラインに立てたのかもしれません。
自分の弔辞を書き上げた後、私は再びアメリカへ渡り、次なるテーマである「会社の理念を明文化する」という課題に取り組みました。その過程でガーバー氏から教わったのは、「経営理念とは、経営者自身の人生の目的と深く結びついていなければならない」というシンプルで本質的な教えでした。
私はあの弔辞の中で、「自分と出会った人に、幸せになったと思ってもらえる人生を送りたい」と綴りました。これこそが、自分の人生を通して実現したい目的なのだと、ようやく自覚することができたのです。そして、もしその想いが本当に人生の軸であるならば、会社の理念も同じ軸上にあるべきだと、強く感じるようになりました。
そこで私は、「ビジネスで人々を幸せにする」という言葉を、自社の理念として明確に定めました。それは単なるスローガンではなく、日々の判断や行動の"基準"として機能するものでなければ意味がない、と自分に言い聞かせました。
理念を絵に描いた餅にしないために、私はあらゆる経営判断の中心にこの理念を据えるようにしました。たとえば、新しい商品やサービスを検討するときは、「この取り組みは本当にクライアントを幸せにできるか?」を最初に問いかけるようにしました。
また、いくら売上が見込める取引先であっても、社員に無理な要求や負荷を強いるような関係性であれば、取引自体を見直すようにしました。かつての私は、「顧客満足のためなら、社員の我慢もやむを得ない」と思い込んでいました。しかし今では、はっきりと言えます。それは間違った経営のあり方でした。
「社員が誇りを持って働けない会社で、いくら利益が出ても、どれだけ顧客が満足しても、それは誰かの犠牲の上に成り立っているに過ぎない」
そう気づいたとき、私はようやく「理念に基づく経営とは何か」に一歩踏み込むことができました。経営者として、自分の"軸"が初めて腹落ちした瞬間だったと思います。
さらに、理念を組織全体に浸透させるために、給与制度や評価制度も抜本的に見直しました。重視したのは、短期的な売上や成果ではなく、「顧客や仲間にどう貢献したか」「どれだけ理念に沿った行動ができているか」という観点です。
たとえば、社員同士が日常の中で理念に基づく行動を見つけたとき、その行動をカードに書いて称賛し合う仕組みを導入しました。そのカードの内容が、ボーナス評価に反映されるようにしたのです。
また、理念の実践を多角的に評価できるように、上司だけでなく、同僚や部下からもフィードバックを得る「360度評価制度」を導入しました。最終的な評価は、チーム全体の視点を取り入れた平均点をベースに算出する仕組みにしています。
こうした取り組みを積み重ねる中で、社内の空気が明らかに変わっていきました。以前は指示を待つだけだった社員が、「この業務、こう変えた方がもっと良くなると思います」と自発的に提案するようになりました。新入社員が困っていると、先輩社員が自然に声をかけて手を差し伸べる場面も増えました。
価値観を共有する社員が徐々に定着し、会社の文化が根づき始めました。そして、不思議なことに、理念に共感してくださるお客様も、自然と集まってくるようになったのです。
会社の理念が、自分の人生の目的と重なったとき、経営は初めて"言葉ではなく構造"として機能し始める。そんな実感を、私はようやく得ることができたのです。
この一連の経験を通じて、私ははっきりと気づきました。理念とは"感情論"や“美辞麗句”ではなく、経営という構造全体を支える「設計図」になり得るということです。
かつての私は、経営に行き詰まるたびに、外部のノウハウや手法に解決策を求めていました。しかし本当に必要だったのは、自分自身の内面と真剣に向き合い、「自分はなぜこの会社を経営しているのか」という根本的な問いに答えることだったのです。
その問いに向き合い、人生の目的を明確にし、理念として言語化する──それができて初めて、制度や仕組みは真に機能し始めました。理念をすべての判断の基準とすることで、会社の方向性はぶれなくなり、社員との信頼関係や、顧客・社会とのつながりも、以前とは比べものにならないほど強固なものになっていきました。
多くの経営者が、理念を「掲げるもの」「見せるもの」として扱ってしまいがちです。しかし、理念は経営者自身の"人生観"と結びついてこそ、初めて「迷いのない経営」の軸として機能するのだと、私は今強く感じています。
うまくいかないとき、私はずっと外側の原因──環境や人材、景気のせいにしていました。でも本当は、最も見つめ直すべきは、他でもない自分自身だったのです。
自分は、どんな人生を送りたいのか。どんな最期を迎えたいのか。その問いに自分の言葉で答え、それを理念に落とし込み、具体的な仕組みとして会社に組み込んでいく。
──このプロセスこそが、経営者としての自分を安定させ、会社を確かな方向へ導く最も確かな方法なのだと、今では確信しています。
私は今、経営者の人生の成功とは、事業の成否だけでは測れないのではないかと感じています。どれだけ多くの人に貢献できたか、そして自分自身が心から納得できる人生を送れたか──その実感こそが、経営者にとっての「本当の成果」なのではないでしょうか。
「自分の弔辞を書く」という体験は、私にとって、人生と経営のつながりを再定義する問いとなりました。そして私は、「理念とは想いではなく、構造である」という本質に気づくことができたのです。
私自身、今もなお、人生と経営の間を行き来しながら、自分に問いかけ続けています。経営の悩みが尽きることはありませんが、人生と誠実に向き合ったとき、不思議と会社の進むべき道が見えてくる瞬間があります。
そのきっかけが、この記事のどこかにひとつでもあれば──これ以上、嬉しいことはありません。
更新:10月06日 00:05