グロービス経営大学院が主催する「あすか会議」は、年に一度、各業界のトップリーダーと学生(在校生・卒業生)および教員が一堂に集い、開催するカンファレンスです。21回目の開催にあたる「あすか会議2025」には約1,200人が参加。グロービスグループが地方創生に取り組む茨城県水戸市に集い、学びを深めました。
本稿では、「あすか会議」で行われた、慶應義塾大学総合政策学部教授/公益財団法人国際文化会館常務理事の神保謙氏と慶應義塾大学名誉教授の竹中平蔵氏、同志社大学法学部教授の村田晃嗣氏、株式会社サキコーポレーションファウンダー/三菱商事株式会社取締役の秋山咲恵氏(モデレーター)によるセッション「トランプ時代の世界の行方 ~不確実性を増す世界の動向を探る~」から、トランプ大統領が生み出した世界の現状についてのお話をご紹介します。
――トランプ大統領を生んだいまの世界を皆さんはどう見ていらっしゃいますか?
【神保】戦後、アメリカは安全保障や通商、秩序、通貨体制といった"国際公共財"を提供してきました。この基盤の上で、多くの国がビジネスや安全保障政策を展開してきたわけです。しかし、今、この前提が根本から変化しています。
アメリカ人自身が「我々だけで担うべきではない」と考えるようになり、役割を他国にアウトソースする流れが進みました。そして「アメリカ第一主義」「経済ナショナリズム」「力による平和」という3つの方針をトランプ政権は掲げています。
この三角形のバランスが常に引っ張り合っており、その中でトランプ政権の対外政策が展開されています。ただ、安全保障の面で「力による平和」という概念があまりに幅広く、どの指標で政策を評価するのかが非常に難しくなっているのが現状です。
現在、世界には主に3つの戦域が存在します。一つは、ウクライナを巡るヨーロッパの戦域です。トランプ政権はロシアと直接交渉して停戦を目指しましたが、これは失敗に終わりました。今後も停戦の見通しは立っておらず、今年の後半にかけて、いかにして前線を維持するかが焦点となるでしょう。
二つ目は、ガザの人道危機が深刻化している中東です。そして、もう一つの中東における重要な問題がイランです。トランプ政権はイスラエルと共に、フォルド、ナタンズ、イスファハンの3つの核施設に対して空爆を行いました。この攻撃によって、イランの核能力をおそらく数ヶ月から数年間、後退させることに成功しました。
しかし、イランは核兵器に使用可能な濃縮ウランをどこかに隠していると見られ、IAEA(国際原子力機関)による査察を拒否しています。この状況が続けば、数年以内に間違いなくもう一度核危機が起こると思います。
――アメリカが公共財を提供するという役割に疲れてきたと。そうだとしたら、もしトランプ大統領でない別の人が大統領になったとしても、あるいは次になったとしても、いまと同じような状況になり得るのでしょうか?
【神保】アメリカが世界の秩序を主導的に担う役割から後退し始めたのは、実はオバマ政権の頃からだと考えられます。民主党、共和党双方とも、アメリカがすべての責任を負うことには限界があるという70年代から続く議論が、とりわけオバマ政権時代に強まりました。そして、まさに「アメリカ第一主義」のイデオロギーを持つ共和党の大統領が就任すると、この傾向はさらに強まる可能性があるということなんだと思います。
ただ、アメリカ国内には依然として、同盟を重視する人が多く存在します。たとえ同じ目的を持っていたとしても、その目的を達成するための手段は、同盟国やパートナーと協力する道を選ぶ可能性は十分にあり得ます。
【村田】トランプ現象の背景には、トランプ個人の属性によるものと、もっと大きな構造的な要因があります。公共財の負担を他国にも共有してほしいという思いは、多くの米国民が抱えているものです。
ただし、イラン空爆や州兵を派遣してデモを鎮圧するようなトランプの手段には、反対する声もあります。彼が掲げている政策目標と実現させるための手段については、評価は異なるということは押さえておかなければならない。
そもそも「アメリカ・ファースト」という言葉自体は、戦前から使われていました。同様に、グリーンランドの購入やパナマ運河返還の問題も、過去にアメリカで議論されたことがあります。これらの事例が示すように、現在起きていることは、まったく新しい現象ではなく、過去の出来事の「バージョンアップ」と捉えることができます。ですから私は、過去に同じようなことがいつ、どういう理由で起こったのかを見るようにしています。
――民主主義国家であるアメリカで、選挙によって選ばれた大統領が、その国の民主主義の原則を疑わせるようなリーダーシップを発揮していることについて、どのように見ていますか。
【村田】チャーチルは「民主主義は最悪の政治システムである。ただし、これまで試されたすべての政治システムを除いては」と言いました。
私たちは「民主主義」と聞くと、どうしてもポジティブなイメージを抱きがちですが、そもそも多くの矛盾や問題を内包しながら人類が運用してきた制度です。だからこそ、その負の側面が表に出るのは避けられないことです。
しかし、同時にアメリカの制度が完全に機能不全に陥っているわけではありません。減税法案にしても、トランプ大統領に同調しない共和党議員はいますし、司法も機能している。州や自治体レベルでは、移民政策に対する抵抗も多く見られます。そういう意味で、アメリカの民主主義は重層的であり、一面的に「壊れている」とは言えないのです。
――なるほど。これも民主主義のリアルな姿ということですね。
――では、竹中先生、今度は少し経済の視点からお話をお願いします。
【竹中】皆さんにお聞きしたいのですが、ダロン・アセモグルという経済学者の名前をご存じですか? ...ご存じの方はあまりいらっしゃらないのですが、実はこの方、昨年ノーベル経済学賞を受賞したんです。
彼の主張の核心は「制度の重要性」です。たとえば、朝鮮半島を見てください。同じ民族、同じ言語を話しているのに、北と南ではまったく異なる国になっている。また、アメリカのアリゾナ州の一番南にノガレスという町があって、国境を挟んでメキシコにもノガレスという町がある。
これは1853年にアメリカが大陸横断鉄道を敷くために土地を分断したんですね。 もともとは同じ土地なんです。しかし、アメリカのノガレスとメキシコのノガレスはかつては同じ土地だったのに、一人当たりの所得が3~4倍違う。なぜなのか。制度が違うからだ。
この視点でトランプ大統領を見ると、彼は世界の制度そのものを変えつつあるのです。自由貿易、多国間主義、民主主義、法の支配...そういった国際秩序にアメリカが耐えられなくなって、彼自身も次にどんな制度になるのか分かっていないでしょうが、とにかく現行の制度をことごとく破壊しているのが現状です。
そこで、関税政策が打ち出されていますが、これはアメリカ自身にとってもマイナスです。高い関税は消費者に跳ね返り、経済全体を減速させる。主要国の中で最もアメリカ経済が減速するという予測も出ています。
それにもかかわらず、トランプがリスクをとっている背景にはエネルギー自給の進展があります。2017年、トランプ第一次政権の際にアメリカは原油生産で世界一になりました。これは、アメリカが経済的に自給自足できるという体制が整い、アメリカ一国主義を後押ししました。
これまでアメリカは「安全は守るから、自由貿易をしなさい」と、世界をビッグダディのように包み込むような形でリードし、柔らかな帝国主義とも言われる影響力を保ってきました。しかし、このビッグダディの役割にアメリカが耐えられなくなり、さらに核武装をする北朝鮮やイラン、中国などアメリカに従わない国の存在も目立ってきたことでこれまでの仕組みを全部を壊そうとしているのが現状なのだと思います。
日本では関税の議論ばかりが目立ちますが、実際にはそれ以上に大きな問題があります。たとえば、アメリカがUSAIDを実質的に廃止したことで、世界で約7,000万人の子どもたちがワクチンを接種できなくなり、その結果、約120万人の子どもが亡くなりました。こうした状況でパンデミックが発生すれば、その影響はヨーロッパやアメリカ、日本にも及び、私たちの命に関わるリスクになります。
さらに、金融の問題も極めて重要です。トランプ政権は現在、大銀行に対する規制を大幅に緩和しようとしています。資本規制を弱める一方で、仮想通貨を積極的にどんどん推進している。この動きは、銀行と暗号資産の仕組みが融合するプロセスとも見られ、これは進化とも言えると思いますが、本当にアメリカの地方銀行が維持していけるのか疑問です。
さらに、トランプは一般の消費者を守るための「金融消費者保護局」に対して、その権限を弱める方向に動きました。結果、金融面でのリスクも高まっています。日本はそのリスクを感じながら、一方でチャンスと捉えて行動していくことが必要じゃないかなと思います。
更新:09月13日 00:05