年に10万人が介護離職をしていると言われている。親や祖父母など、身近な人が実際に介護状態になってしまったら、どうすればよいのか? 『THE21』2024年10月号では、認知症になった祖母の介護に母親とともに取り組んだ漫画家のニコ・ニコルソン氏と、NPO法人となりのかいごの代表を務める川内潤氏に、「家族が疲弊しない正しい介護のあり方」を話し合ってもらった。(取材・構成:林加愛)
※本稿は、『THE21』2024年10月号特集「50代で必ずやっておくべきこと」より、内容を一部抜粋・再編集したものです。
【川内】「となりのかいご」というNPOを運営している川内潤です。これまで介護関係の様々な仕事に携わってきましたが、あまりにも様々なので(笑)、おいおい話します。今日はよろしくお願いします。
【ニコ】漫画家のニコ・ニコルソンと申します。アルツハイマー型認知症になった祖母の介護について本を2冊出させていただき、今は続編を制作中。経験者として語りたいこと、教えていただきたいこと、色々お話しできたら嬉しいです。
【川内】お祖母さまの介護をされたんですね。ということは親御さんと一緒に?
【ニコ】母と二人で、でも主な担い手は母です。私はそれまでずっと東京にいて、実家で起きていることに長い間気づかず、2013年頃、帰省時に母が「もうね、お母さんと一緒に死のうと思うの」と口にしたのを聞いて初めて変だと思いました。
【川内】ご実家は遠方ですか?
【ニコ】宮城県です。ちなみに今の家は、母が祖母のために建てたものです。祖母・母・子ども時代の私が暮らした前の家は、東日本大震災で流されまして。
【川内】そうだったのですか!
【ニコ】家を失って無気力になった祖母のために、母は元の家にできるだけ似た新居を建てました。でも、環境が変わった影響はやはり大きくて。近隣の皆さんが震災後、越していかれて話し相手もいなくなり、祖母は寂しかったのでしょう。程なく「帰りたい」「ここは私の家じゃない」と言うようになり、その後はどんどん症状が進んだようです。
【川内】異変に気づかれたあと、どうされたのですか?
【ニコ】協力するため宮城に戻りました。でも、あまりに予備知識がなく......。介護のイメージは、知らない人間にとって、とても曖昧です。下の世話も、「大人用のおむつを当てればいいのかな」という程度。実際やってみたらとんでもなく難しい。でも母はもっと大変で、夜中もほとんど寝られず、本当に追い詰められていたと思います。
【川内】在宅介護をする方の典型的な苦境ですね。今の日本のシステムでは、そうした方に手が届きにくいんです。介護保険は「要介護者本人の自立支援制度」なので、プロはご本人とのやりとりが中心で、ご家族とだけ話をする機会を得にくい。ご家族は自分の思いを、それも「ご本人がいないところで」語ることが必要なのに、そこをカバーできない。
【ニコ】介護職は激務ですから、時間もないし、人手も足りないですよね。
【川内】そうなんです。この問題を痛感したのが、現在の仕事を始めたきっかけです。「となりのかいご」は様々な企業と顧問契約をし、社員の方の相談に乗り、サポートをします。加えて、まだ介護に直面していない方も含めて定期的なセミナーも。これは、マインドの「リセット」をしていただくためです。
【ニコ】リセットですか?
【川内】はい。「在宅介護=美徳」という思い込みを外していただく。この思い込みは、実に危険です。我々専門職でさえ、「自分の家族を介護してはいけない」と習うくらい、在宅介護はきつくてつらいんです。
【ニコ】家族がきついと感じるのは、思い出が壊れるからですよね。私も、テキパキとごはんを作ってくれていた祖母の思い出がことごとく壊されて、本当につらかったです。
【川内】その中で疲弊し、ときには、してはならないことをしてしまうかもしれない。私が最初に携わった介護の仕事は「訪問入浴介助」でしたが、服を脱いでいただくと身体にアザがある方がいるんですね。私の目の前で、親を叩いてしまうお子さんも。止めようとして手を押さえ、顔を見ると、ボロボロ泣いていらっしゃいました。
【ニコ】わかる......。私も手を振り上げて、ぐっと押しとどまったことがあります。
【川内】あと多かったのが、介助を手伝おうとする方です。「今の間に少しでも休んで」と言っても、聞いてくださらないんですよね。
【ニコ】母がそのタイプです。「長女だから」という責任感と、それから罪悪感もあったかと。若い頃離婚して、私と一緒に実家に戻っているので。
【川内】申し訳なさを介護で埋め合わせる心理ですね。それは一種の共依存を招き、「介護していないと不安」という状態になります。つきっきりの介護で介護者自身が疲れ果て、介護されるご本人のできることも減っていく。まさに負のループです。
【ニコ】母も祖母につきっきりでした。夜もろくに寝ず、昼間は仕事に出かけて。
【川内】お母さんは外でお仕事。ニコさんはどこでお仕事を?
【ニコ】実家で、深夜に働きました。でも祖母がしょっちゅう起きるので目が離せず、震災のときでさえ落とさなかった原稿を、一度落としてしまいました。あの頃は、東京から離れて仕事のキャリアが止まるかも、という焦りも強かったです。
【川内】そのお話、テレワークで在宅介護をしている方の状況と似ています。最近このかたちの在宅介護が増えていて、企業も悪い意味で協力的。テレワークの日数上限を撤廃するなどの制度を設けて、「当社は仕事と介護の両立を応援します」と標榜するのが典型例です。
【ニコ】実際のところ、両立は困難ですよね。経験して初めてわかることですが。
【川内】その通りです。困ったことに、最初は従業員から「テレワークで介護を」という声を上げることが多いんです。そうして会社に対応してもらったあとで、無理だとわかる。でも今さら何も言えず蟻地獄に......というパターンが続出しています。
【ニコ】恐ろしいです。この場合、どうすればいいのでしょう。
【川内】こういう相談を受けたとき、私は「一回家を出てください」と言います。地域の包括支援センターに「家を出ます」と電話を入れ、住所と老親の名前を言って逃げなさい、と。包括支援センターには、こうした事例に対応する体制がありますから。
【ニコ】そんな方法があるのですね。でも実行するのは心情的に難しそうです。
【川内】確かに。しかしこの状態が続くとキャリアが台無しになり、結果として要介護者本人を憎むことにもなりかねません。ちなみに、ニコさんのように「お母さんが心配」というときも、包括支援センターに事情を密告する手があります。
【ニコ】密告ですか(笑)。
【川内】そう、お母さんに内緒で現状を話す。これなら東京を離れずにできますね。事前に一報入れておくと、「お母さんがついに倒れた」というとき、即座に支援に入れる体制を整えられます。
【ニコ】逆に言うと、直接助けには行かないということですね。しかも倒れるまで? 難しい~!
【川内】あえて、シビアなことを言いますね。お母さんがご自分の意志でお祖母さんの世話をすることに対して、子どもには何の責任もありません。仕事を犠牲にして「助ける」ことで共倒れになるよりは、「見守る」ほうが結局は全員の安全を保てる。私はそう思います。
【ニコ】「在宅介護は無理、仕事も自分も大事」と割り切れればいいですが、「頭ではわかっていても......」となりますね。
【川内】よくわかります。しかしせっかくなのでもう一点、ご家族が聞きたくないかもしれないお話をします。先ほど、「介護保険は介護されるご本人の自立のための制度」だと言いましたね。ところが多くのご家族が、「本人の自立」ではなく「家族の不安解消」のために介護保険を使おうとされます。転ばせたくない、家から出したくない。ベッドの周りに柵を立て、部屋に鍵をかける例もあります。
【ニコ】そこまでではないものの、私たちも先回りしてケガを防ごうとはしていました。どこまでが本人のためでどこから家族のためか、難しいですね。
【川内】目安は、ケアマネさん(ケアマネジャー=介護支援専門員)などから「介護保険ではここまでしかできません」と言われるラインです。「これだけ!?」と思ってそれ以上のことを自分で頑張るほど、不安解消のゾーンに入り、先回りが増えます。
【ニコ】本人を守っているつもりが、縛っている状態に。
【川内】そう、本人はストレスを溜め、家族の負担も増えます。実はこれ、ビジネスパーソンが陥りやすいパターンです。普段、会社で行なう「課題解決」の思考を介護に持ち込んで、「あれを防がねば、これを解決せねば」となるのですが、高齢者の生活は課題があって当たり前。ここでもマインドの切り替えが必要です。
【ニコ】課題は山積ですよね、特に認知症ともなると。
【川内】認知症も実は、ご本人にとっては必ずしも不幸ではなく、むしろ記憶がなくなることで幸せになる方もいます。介護施設の職員をしていたとき、とても穏やかな顔の男性がいました。この方、現役時代はハードなお仕事をバリバリこなされていて、当時の写真を見るととても険しい顔。変われば変わるものですね。過去や肩書がなくなると、その人自身が残るんです。
【ニコ】わかる気がします。祖母も最終的に施設に入ったのですが、その際、祖母の好きなことなど、「人となり」を職員の方に伝えました。するとそこから色々と話が弾むようになったようで、「伝えて良かった」と思いました。
【川内】いいですね。それこそが家族のできることです。介護そのものを頑張らず、自分しか知りえない本人の人となりをプロに伝える、プロによる介護の態勢を整える。これが、「仕事と介護の両立」が可能になる最善の立ち位置です。
更新:11月21日 00:05