2024年08月30日 公開
「専門家が言っている」「引用元が明記されている」...このような条件を満たしていても、その情報が確実に正しいものだとは言い切ることができません。搾取ビジネスの罠にかからないためには、とにかく「裏通り」することが大切です。行政書士の服部真和氏による書籍『できる社長のお金の守り方』より解説します。
※本稿は、服部真和著『できる社長のお金の守り方』(秀和システム)より、内容を一部抜粋・編集したものです
洋の東西を問わず、大昔から名を馳せた賢人の多くが、知らないことは恥ではないと説いてます。
西洋哲学の基礎を築いた古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、当時の知識人たちと問答を繰り返した結果「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」という意味の「不知の自覚」という表現を残しています。
また「論語」で有名な古代中国の哲学者・孔子も「知っていることを知っているとし、知らないことは知らないこととする。これが知るというなり」と、まさにソクラテスと同じ「不知の自覚」を説いています。
シェイクスピアも『お気に召すまま』という作品に「愚か者は自身を賢者だと思い込むが、賢者は自身が愚か者であることを知っている」という一節があります。
このように「知らないこと」を恥じる必要はなく、むしろつねに謙虚に「自分の知識や判断は正しくない」と考えるようにするほうが、様々な場所に潜む罠を回避することができるはずです。
厄介なのは「自分は大丈夫」と思い込む人が、ろくに「裏取り」もせずに、搾取ビジネスの罠にかかってしまうことです。こうなると、出会ったものが搾取ビジネスであることに気づかず、搾取され続けることとなります。そればかりか、自らも加担していることに気づかずに搾取行為を支援してしまうこともあります。
たとえば、マルチ商法(連鎖販売取引)は、上の人だけが儲かる仕組みです。必死に商材を広げている層(下の人)は利益ではなく、自分が扱っている商材が本当にいいものだと信じて、他者に勧めていることがあります。
これは善意からの行動ですが、その善意が搾取を助長してしまっていることに本人が気づいていません。そういう人は「自分は大丈夫」と思っていますが、じつは大丈夫どころか、搾取ビジネスを拡大させるという最悪の状態に陥っているわけです。
まずは「自分の知識や経験は確かなものではない」と知ることです。そして、それを日ごろから認識することです。これが習慣となり、本当の謙虚へとつながります。
現代は情報が膨大で、発信者の数も限りなく増えています。そして、搾取を念頭に置いている輩はもちろん、そうでない悪気ない発信者であっても、自らの発信内容が「正しい」という前提に立っています。「専門家」や「研究者」を名乗り、洗練された成果のように説明する者もいれば、聞きかじりの立場の者が、さも自分が考えたり、当事者のように装う者もいます。
しかし、その多くは「自称」にすぎず、信頼に足るものは少ないのです。だからこそ、自分で「裏取り」をしなければなりません。意識してほしいのは、とにかく調べる癖をつけるということです。
「不知の自覚」を念頭に置いて「知らない用語」「知らない人」「知らない団体・会社」「知らない経緯」「知らない掲載媒体」など、くどいくらいに裏取りをすれば、怪しいものは必ず違和感が見つかります。そうした違和感を見逃したり、無視したりしてはいけません。第三者に相談することもお勧めします。
加えて、次のポイントも押さえておくといいでしょう。
・発信者のフォロワー数、閲覧数はまったくアテにならない
・エビデンスが記載されている場合、引用は正確か見る
・言葉の定義は正確か、正しい補足があるか
・第三者による専門性の担保があるか
・極論を振りかざしてないか(意見が偏らず中立な視点か)
引用の正確性とは、文章を見た人が、そのエビデンスのもとを探そうとすれば探せる程度に「その文章の書き手と引用元の文章が区別されていること」と「引用元が明かされていること」の2点が重要です。
同じく、言葉の定義の正確さも重要です。読み手が理解違いをしないような配慮がなされているかで、発信者の誠意が読み取れます。
この視点で考えれば「誰でも簡単に稼げる」とか「●か月で年収●●●万円」なんて、あおれるはずがないのがよくわかるはずです。
「引用元(エビデンス)をたどる」「言葉の正確性をチェックする」「第三者も担保されているか整合性を見る」「極論になっているかどうか、ほかの意見と比較する」など、とにかく身を守るためには「裏取り」をたくさんしなければなりません。
更新:11月21日 00:05