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「気い悪うせんといてや...」緊張感の中、松下幸之助が飲食店のコックにかけた一言

渡邊祐介(PHP理念経営研究センター代表)

 

客としての礼節、慮りの人

これは1975年の初めの頃、幸之助の伝記『幸之助論』(ダイヤモンド社)を執筆したハーバード・ビジネススクールのJ・P・コッターが感銘を受けたというエピソードだ。

当事者、のちに甲南学園理事長を務める小川守正氏によると、自身を含む6人の新任役員の昇進を祝う、フランス料理店での内輪での会食の場だったという。メインのステーキが出たあと、和やかな場に緊張が走った。

「小川君、このステーキを焼いたコックさんを呼んで来てんか、マネージャーと違うで、コックさんやで」と幸之助から声が掛かったのだ。小川氏が幸之助の皿を見ると半分残っている。

(これはクレームだ、「相談役もお客になると厳しい人やな」と思うと同時に、せっかくの楽しい雰囲気に「そこまで言わんでも」)と小川氏は思ったという。

コックは飛んできた。「何か不都合がございましたか」と恐る恐る言った。相手が松下幸之助なのは重々承知している。幸之助はこう言った。

「このステーキあんたがせっかく焼いてくれたけど半分残すわ。まずいんと違うんやで、おいしいんやけど、私はもう80歳なんで、全部よう食べんのや。気い悪うせんといてや」

それは蚊の鳴くような小さな声だった。しかし、聞き耳を立てていた小川氏にははっきりと聞こえた。

(とんだ下衆のかんぐりだったと恥じ入ると同時に、松下幸之助の働く人への深い深い思いやり、愛の心を見て、胸がジーンとなり目頭が熱くなるのを抑えることができなかった)と後年小川氏は語っている。

自分のほうが客の立場である。しかし、サービスを受ける身として、幸之助は詫びずにいられなかったのだ。道行く人もみなお客様──すべてのビジネスパーソンが心得たいフレーズのように思える。

 

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