放送作家としても、作家としても、百田尚樹氏は話の「つかみ」に格段の注意を払ってきたという。テレビ番組でも小説でも、冒頭の面白さこそが命綱――実はそれは、普段の雑談でも同じことが言えるという。ではどうすれば、聞く人の興味を惹きつける話の「つかみ」ができるのか?
※本稿は、百田尚樹『雑談力』(PHP文庫)の一部を抜粋・編集したものです。
私は30年以上もテレビ番組の放送作家として生きてきました。そして「つかみ」の重要性を痛感してきました。「つかみ」というのはもともとは寄席言葉です。芸人が舞台に出て1発目に放つネタのことです。
これで客の気持ちを摑むと、あとが非常にやりやすい。逆に失敗すると、そのあとがずっと大変になるので、「つかみ」は非常に大事なのです。
テレビ業界の「つかみ」とは、番組冒頭のネタです。テレビを見ている人はいつもすぐ近くにリモコンを置いていて、「この番組、面白くないな」と思った瞬間、チャンネルを替えます。これをザッピングといいます。
テレビ番組の視聴率表というのは、放送翌日にテレビ局に配信されるのですが、分刻みの視聴率が折れ線グラフになって表れています。それを見ると、視聴者が凄い勢いでザッピングしているのがわかります。
私たちは番組を作っていて、「ここは少し面白くないところかな」と思うところもあります。後日、放送後に視聴率を見ると、そのシーンで少しずつ折れ線グラフが下がっていくので、「ああ、やっぱりな」となります。
番組で1番大事なのは「つかみ」です。ここで視聴者の気持ちをぐっと摑むことに失敗すると、番組全体の視聴率もあまり高い数字は望めません。
私はテレビ業界に長くいたので、小説を書く場合にも、「つかみ」に凄く気を付けます。極端な話、最初の1ページから面白いシーンがないと気に入らないのです。
ただ、読者には主人公がどんなキャラクターかもわからないし、ここがどこなのか、今がいつなのかもわからない状況で、いきなり面白いシーンというのは難しいものがあります。
その制約があっても、私は最初の1ページで物語を動かします。最初の出来事が起こるまで、2ページも3ページも費やすのは耐えられないのです。
私の作品は、『永遠の0』も『海賊とよばれた男』も『影法師』も『風の中のマリア』(以上、講談社文庫)も、『フォルトゥナの瞳』も『カエルの楽園』(以上、新潮文庫)も『モンスター』も『夢を売る男』(以上、幻冬舎文庫)も、すべて最初の1ページから物語が動きます。私が意図的に冒頭をスローモーに作ったのは、『プリズム』(幻冬舎文庫)だけです。
他人の小説を読んでいて、数ページも読み進んで、何も物語が進展しないことがよくあります。もうそれだけでうんざりして読み進める気はしません。
これは私の持論ですが、「つかみ」に無神経な作家に、面白い小説が書けるわけがない、と思っています。おっとまた私の放言が出ました。まったく余計な一言です。ご放念ください。
ただ、ベストセラー作家と言われている人の小説は、たいてい最初の1ページから物語が動き始めます。そう考えると、やはり「つかみの能力」イコール「物語を作る能力」かなという気もします。もっとも、私は両方の能力がないので苦労しています。
更新:11月21日 00:05