2023年03月24日 公開
2023年05月24日 更新
"喋りの名手"でもある作家・百田尚樹氏は、雑談について多くの人が勘違いしていることがあると言う。それは、相手が興味の持ちそうな話をするのがいいと信じていること。
しかし本当に面白い話とは、たとえマニアックだとしても、自分が好きな、興味のある話題を選ぶことである――。それは、いったいなぜなのか?
※本稿は、百田尚樹『雑談力』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。
雑談について、多くの人が大きな勘違いをしているのは、「相手が興味を持ちそうな話をすればいい」と思っていることです。実はこれは全然違います。本当に面白い話は、「話し手が一番興味のある話題」なのです。
「そんな自分勝手な話は、自己満足じゃないか!」と思われる方がいるかもしれません。しかしそうではありません。自分が夢中になった話は、他人も面白がるものなのです。それに自分が面白がらなければ、他人だって面白がって聞いてくれません。
マニアックな話であってもかまいません。むしろマニアックな話題というのは多くの人が普段あまり聞くことのない話だけに、逆に興味を持って聞いてもらえる可能性が高いのです。
ただ、ここで凄く大切なことは、その個人的な興味の話を、「いかに面白く話せるか」です。その話が面白いかどうかは、それにかかっています。別の言い方をすれば、「自分の話したいことを、聞く方の身になって話す」ということです。
少し話がずれますが、これは小説でも同じだと思っています。よく小説家の中には、「どういうテーマを選べば、読者は喜んでくれるのだろうか」という観点からテーマ選びをしているような人もいます。でも、これは間違いです。小説家は、自分が一番面白いと思うテーマを書くべきなのです。
私は『永遠の0』という、大東亜戦争と零戦をテーマに書いた小説でデビューしました。もともと旧日本軍の戦闘機や爆撃機、それに空母などには興味があったので、この小説の中にはそうしたマニアックな話が沢山出てきます。
九七式艦上攻撃機や九九式艦上爆撃機についての細かい話もあります。空母の着艦のやり方や、当時の海軍のシステム、また大東亜戦争における太平洋の個々の戦闘についても、戦記マニアの本かと思われるほど、細かい話が出てきます。
しかし読者から、「そうした話は煩わしい」という声はほとんど聞きませんでした。読者の多くは、初めて知るそうした旧日本軍の戦闘─私たちの父祖が国を守るために、いかにして知恵と勇気をふりしぼって戦ってきたのかを、むしろ興味深く読んでくれたのです。
『永遠の0』は最初、大手出版社に持ち込みましたが、断られました。理由はいくつもあったのですが、一番の理由は「読者が戦争ものに興味を持たない」というものでした。
戦争を扱った読み物は、「マニアックな戦記好き」しか読まず、しかも彼らはノンフィクションにしか興味を持たないというのが、出版界の常識だったのです。
でもマニアックな戦記好きではない私が、零戦の話を知った時、大いに興味をそそられ、また感動したのです。だから、その話に感動する人は少なくない、と思ったのです。
零戦の話など知ることなく育った人が大半で、そういう人に「面白く」(という表現は語弊がありますが)話せば、きっと興味を持ってくれるはずと思ったのです。
『永遠の0』は紆余曲折あって、太田出版という小規模の出版社から出版され、その後、講談社文庫になり、映画化などの幸運にも恵まれ、累計で500万部近く売れました。
そして、ここで大切なことは、相手が最初興味の持っていない話題を「いかに面白く話せるか」です。そのために、読者はそのことを何も知らないという前提で書きます。知っている前提で書くのでは、最初からマニア向けの本になります。
たとえば私が零戦の話をする時は、まず零戦が不可能を可能にした戦闘機という話をします。当時の戦闘機で大切なものは、「格闘性能」と「速度」です。格闘性能というのは、敵の戦闘機を空中戦で落とすために必要な性能で、簡単にいえば小回りがきくことです。
くるりと相手の後ろに回ることができれば、空中戦に勝利できます。もう1つのポイントである「速度」の重要性はいうまでもありません。相手の戦闘機や爆撃機よりも速く飛べるというのは、大変なアドバンテージです。
ところが、ここに問題があります。実は飛行機の性質上、格闘性能と速度は相反するものなのです。つまり格闘性能を増せば速度が出にくくなり、逆に速度の速い戦闘機は格闘性能が落ちるのです。それで当時の先進国は、戦闘機の用法を考え、どちらを優先するかで設計を決めました。
でも旧日本海軍は航空会社に、他の戦闘機を凌駕する格闘性能と他の戦闘機よりも速い速度を要求しました。しかも、当時としては常識外れの航続距離の要求までありました。あまりの要求に、多くの航空会社はこのコンペから降りました。
しかし三菱重工業の若き飛行機技師、堀越二郎は敢えてこの飛行機の設計に挑みました。そして、なんと海軍の要求通りの戦闘機を作り上げたのです。しかも航続距離は当時の先進国の戦闘機の倍もありました。
これは当時の常識を超えた奇跡の戦闘機だったのです。当時、飛行機はあらゆるテクノロジーの最高峰でした。そのジャンルに、日本人がいきなり世界最高級の戦闘機を作り上げることに成功したのです。
更新:11月21日 00:05