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「差別と炎上」の一連にある歪んだ構造...社会の進歩を阻むネット言論の落とし穴

2023年03月14日 公開
2023年04月07日 更新

綿野恵太(文筆家)

 

認知バイアスの歪みが怒りを伝播させる

無論、だからと言って現状を都合よく解釈し、一方的に移民や外国人に全責任を押しつける言動は、あまりに独りよがりという他ない。

しかし、人間は差別につながるこのような認知バイアス(認識、思考のクセ)を、本能的に抱える生き物なのである。

認知バイアスが持つ厄介な点は、本人の中にそうした思考のクセがある、という自覚が無い点だ。そのため、本人もまったく気付かないうちに、差別につながる言動をとってしまう。

特に差別へとつながりやすいバイアスに「内集団バイアス」がある。「われわれ」(味方)と「あいつら」(敵)とを判別し、無意識のうちに「われわれ」(味方)のほうを贔屓して「あいつら」(敵)を蹴落とそうとする傾向のことだ。そのうえ、自分と同じ属性を持つものほど「われわれ=仲間」と認識しやすい。要するに、白人は白人に有利な言動や選択を、黒人は黒人に有利な言動や選択を、無自覚にとってしまうのだ。

これもまた、人類が狩猟や採集で暮らしていた大昔には有効な認知機能だったのだろう。しかし現代社会においては、知らず知らずのうちに差別につながる厄介な能力となっている。

認知科学によれば、道徳的な判断はまず感情によって為され、その後で理性が判断理由を後付けする。だから、何か不正があったときに怒りが起こるのは当然だ。

しかし、感情は物事を素早く判断できる一方、間違いも多い。思考に頼らない判断スタイルだからこそ、認知バイアスの影響をもろに受けてしまう。

この影響を排除するには、丁寧に論理を組み立てられた理論や、冷静な議論を通して思考を深めることが欠かせない。しかしながら、今のネット空間、例えばTwitterやFacebookなどのSNSは、そういう空間になっていないのが実情だ。

怒りの感情は伝染する。そして、その怒りが伝播するスピードはあまりにも速い。また、しばしば人間は、多くの原因が絡み合った複雑なシステムや状況の結果に対し、本能的にわかりやすい原因を見出してしまう。責任の大部分を押し付けることのできる「犯人」探しをしてしまうのだ。

当然ながら、差別は今も存在するし、是正されなければならない。もちろん、批判は必要だろう。そしてそのためには、「理性に基づいた議論」こそが必要なのである。

だから、犯人探しをしてその相手を敵と見做し、怒りを爆発させて、炎上させることを繰り返すだけでは、差別を根本的になくすことにはつながらない。

日々繰り返される「差別やハラスメントによる炎上」は、単にリベラルが敵を作り上げることで、良き市民という「われわれ=味方」との団結を深める儀式にしか思えない。

また、保守派による「不快な事象=格差の拡大や経済的困窮の全責任を、敵(=移民など)に押しつけて排除する」という構造も、そうしたポリコレ的な「炎上」のロジックと酷似している。

現状では差別をする側も、それを批判する側も、わかりやすい「敵」(あいつら)を見出して、それを蹴落とそうとすることを繰り返しているだけだ。

 

社会を前に進めるために意識すべき2つのこと

綿野恵太 ポリティカル・コレクトネス

このように、今やリベラル派は理想主義の暴走に、保守派はアイデンティティの落とし穴にそれぞれハマり、堂々巡りを繰り返している。

では、そんな社会で僕たちが意識すべきことは? その答えを、ここで2つ提示しよう。

まず1つ目は、善悪二元論の物語にハマらないことだ。過激な言動に沈む人の多くは、ネットを中心に「敵」(あいつら)と「味方」(われわれ)という単純な二項対立を多用する。

しかし、建設的な議論は、決して「AかBか」という単純な善悪の二元論で推し量れるものではない。「Aはダメだから、つまりBが正しい」などというロジックは、あまりにもナンセンスである。

こう聞くと、そんな稚拙なものにハマるわけがない、と思うかもしれない。だが、日頃僕やあなたが親しんでいる映画やアニメ、小説だって、明確に示される「悪役」をコテンパンにやっつける勧善懲悪の物語ばかりではないか。

どうも人間の脳には、善悪二元論は馴染みやすいらしいのだ。「敵」を糾弾することで自説を補強する主張には、そもそも近づかないのが賢明だろう。

そして2つ目が、それがあたかも結論かのように提示される「科学的知見」を、正しく認識することだ。

近年、リベラルな考え方と相反する科学的知見を、「不都合な真実」として暴露的に提示する手法をよく見かける。例えば、先に挙げたように、人間は生まれながらに差別につながる認知バイアスを抱えている、といったようなことだ。

しかし、それは「事実」(〜である)であって、「理想」(〜すべし)ではない。例えば「女性は妊娠・出産が可能で、幼児期の子どもの発育を考えても、育児に専念するのが合理的」というデータがあるとして、それを理由に「女性は働かずに育児に専念すべきだ」を結論としても良いのだろうか。

それはやはり違うのだ。僕たちは、性別にかかわらず、自分の生き方を自由に選択できる社会を理想としてきたはずである。事実がそうであるからといって、そうすべきとは限らない。事実を結論にすり替えて理解する(させる)のは、ただの思考停止である。

僕たちは皆、差別につながる本能を抱えている。それは確かだ。しかし一方で、そのような本能を抑制する仕組みや制度を考える理性も持っている。「である」を正しく認識しつつ、「すべし」という理想に少しずつ近づいていくことはできるはずだ。

【綿野恵太(わたの・けいた)】
1988年、大阪府生まれ。出版社勤務を経て、詩と批評『子午線』同人。主な論考に「谷川雁の原子力」(現代詩手帖)、著書に『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)、『みんな政治でバカになる』(晶文社)などがある。

(『THE21』2022年12月号掲載記事「教養としての『ポリティカル・コレクトネス』」より)

 

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