2022年11月15日 公開
28歳の若さでDeNAから独立し、「完全栄養の主食」の開発を成し遂げたベースフード(株)CEOの橋本舜氏。成功の背後には、「健康で持続可能な生活」への燃える思いと、周囲の固定観念を鵜吞みにしない若々しい感性がある。
「まだ『普通のパンと同じくらい美味しい』だけ。やっぱり理想は『完全栄養で絶品』です。それを実現したい」
そう語る橋本氏から詳しい話をうかがうと、未来の「食」と「働き方」のカタチが見えてきた。(取材・構成:辻由美子 )
※本稿は、『THE21』2022年4月号掲載「私の原動力」より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「橋本君、ラーメン屋始めるんだって?」
DeNAを辞めて起業するとき、同僚からそう言われました。完全栄養の主食を開発・販売する「BASE FOOD」を立ちあげた、28歳の頃のことです。
当時、起業といえばITが一般的。食品の開発など、同僚の想定外でした。製品開発の第一弾として麺の試作を始めていた私に"ラーメン店開業"の噂が立ったのも無理もありません。
食品開発に乗り出したきっかけは、自分自身の経験です。
東大の教養学部からDeNAに就職した私は、多忙な毎日を送りつつ、駐車場のシェアリングサービスを行なう「akippa」など、様々な新規事業を担当する仕事にやりがいも感じていました。
しかし、歳を重ねるにつれ、次第に健康診断の結果が悪くなっていきました。このままの状態で年を取れば、不健康のかたまりのような状態になるのは目に見えています。
当時の食事はラーメンかカレー、あるいはいわゆる「コンビニ飯」がほとんど。栄養がかたよっていると思い、自炊を試みたこともありましたが、十分な時間を確保することもできず、どんな食材を用意すべきかもわからず、早々に断念しました。
手軽に栄養がとれる健康的な食事がないだろうか。そんなことを漠然と考えていたある日、ふとひらめいたのが、完全栄養の主食をつくることです。毎日必ず食べるのが主食。その主食で栄養バランスがとれれば、誰でも簡単に健康的な食事ができるのではないか。目指すは主食のイノベーションです。
それからは、起業への思いがどんどん膨らんでいきました。まだ28歳でしたが、奇しくも私の父が祖父を継いで中小企業の経営者になったのも28歳のとき。若すぎるとは思いませんでした。
それに、やりたいことがあるのは幸運です。当時はまだ独身で、もし失敗しても家族に迷惑をかけることはありません。
「やるなら、今しかない!」
そんな思いの中、1年分の生活費が貯まったことを機に、4年半勤めたDeNAを退職、ベースフードを起業しました。
それから1年、貯金を切り崩しつつ「完全栄養の主食」開発に没頭しました。家賃を下げるべくシェアハウスに転居し、最初に取り組んだのは麺の開発です。主材料となる小麦全粒粉に色々な食材を組み込んでみるのですが、最初はものの見事に失敗ばかり。
例えば、栄養のことだけを考えて、モロヘイヤや煮干し、ココアを小麦全粒粉に混ぜた試作品は、まずくて食べられたものではありませんでした。せっかく理想に近づいても、茹でると溶けてしまう、ということもしばしば。
できあがった試作品を工場で製品してもらうため、近くのコンビニから宅急便でその粉を送っていたのですが、いつも「粉、5キロ」「粉、10キロ」と書かれた荷物を送っていたので、店員さんからは「こいつヤバい奴かも...」という目で見られていたと思います。
しばらくして近くに蕎麦屋さんができたとき、コンビニの方から「お客さん、お蕎麦屋さんだったんですね」と心底ほっとした納得顔で言われた経験が忘れられません。違うとも言い出しづらく、少し気まずい思いをしました。
更新:12月04日 00:05