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年功序列が崩れても...「50代で店じまい」という常識を変えられない日本社会

2021年11月09日 公開
2023年02月21日 更新

児玉治美(アジア開発銀行駐日代表)

 

キャリアの危機を救った「ジョブ型雇用」

もし、その答えがNOである場合は、新たな挑戦をしていなかったり、多様性を面倒だと感じていたり、「50代=店じまい」という発想にとらわれていたりしているかもしれません。

そこには多分に、日本の雇用システムの影響があると思われます。新卒一括採用→年功序列→定年退職、というレールに一律に乗せられる中、画一的な価値観が染みついている可能性が大きいのです。

能力にかかわらず、年齢で給料が上がる仕組みは一見、安心なようで、意欲や創意工夫の芽を摘んでしまいます。定年制度もあくまで組織側の都合であるにもかかわらず、レールの上を走る働き手自身も、知らず知らず、自分に「年限」を設けています。

この雇用システムは、日本特有のものです。個人が組織に「就社」し、職務内容も組織側が決める日本型雇用に対し、海外では職務内容ごとに組織が必要とする人材を求め、それに応じて個人が手を挙げる「ジョブ型雇用」が一般的。

応募者は、仕事内容を見極めたうえで「就職」をすることができます。生活の変化や、別分野への興味の移行に応じた転身も自由。自律的にキャリアを構築できるうえに、私生活とも両立させやすいシステムです。

女性視点で言うと、妊娠や出産などのライフイベントによるキャリア中断のリスクも低減できます。

私が前職からADBに転職したのも、出産がきっかけです。13年前に双子が生まれたのですが、当時在住していたニューヨークは物価が高く、家賃と2人分のベビーシッター代だけで月々およそ80万円。私の収入では到底賄えないのは明らかでした。

そこで、産休中に就職活動を開始。国際協力の分野で、私のスキルが活かせて、かつ二児を育てながら働ける職場はどこか、と探して見つけたのがADBです。出産直後に面接を受け、無事に合格。マニラに移ったとき、子供たちは生後6カ月でしたから、ほとんどブランクなく転職できたことになります。

マニラでは、住み込みのヘルパーさんに家事と育児を手伝ってもらい、私は仕事に専念。家の用事に追い立てられることなく過ごせて、精神的にゆとりを持てました。おかげで、子供と過ごす時間は和やかで濃密。ヘルパーさんは今や家族同然で、日本でも引き続き、お世話になっています。

 

家庭のことはある程度「手抜き」でいい!

このような経験を経た私が、働く人たち(特に女性)に強く伝えたいのは、家庭のことはある程度「手抜きでいい」ということ。できる限り人に任せる、自分で行なう場合も完璧を期さない、これが両立の秘訣です。

ただしこの姿勢、日本人の母親としては、決して多数派ではなかったと思います。海外で暮らす日本人家庭は「駐在員+専業主婦の妻+子供」という構成が大半で、お母さん方の家事や育児は、手抜きとは対極だったからです。

マニラで息子が通っていた学校では、子供たちの多くが、凝りに凝った「キャラ弁」を持ってきていました。我が家のお弁当とは少し差がありましたが、私も子供もまったく気にせず。周囲に無理に合わせようとしない姿勢も、手抜きのコツの一つかもしれませんね。

一方、50代のライフイベントというと、介護が視野に入ってくる時期でもあります。私も、夫が数年前から認知症を患っており、やはり人の助けが欠かせません。マニラでも東京でも懇切なサポートを受けられているのは、文字通り「得難い」幸運です。

介護によって厳しい状況に置かれる人は数限りなくいます。昨今、50代の「介護離職」が深刻な社会問題となっていますが、ここにも日本型雇用のひずみが現れています。いったん仕事を離れると復帰しづらいこと、キャリアの空白が、ことさらに問題視されることが、厚い壁になっているのです。

海外では、数年間のギャップは採用にほとんど影響しません。履歴書に空白期間があるのは当たり前。むしろ豊富な経験の証として、ポジティブに受け止められます。ですから、50代以降の転職も決して珍しくありません。

休職という選択もあります。国際機関にはたいてい、会社に籍を残したまま3年程度休職できるシステムがあり、これを利用して家族の世話や、学位の取得、パートナーの海外赴任への同行もできます。こうした制度が、日本でも浸透したら、より柔軟に働けるのではないかと考えています。

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