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出前館の成長を支えた女性社長の「給料月10万円で奮闘した3年間」

2021年09月29日 公開
2023年02月21日 更新

中村利江(日本M&Aセンター専務執行役員CCO)

中村利江

今や生活に欠かせないサービスとなり、昨年のLINEとの資本業務提携でさらなる飛躍を目指す出前館。その成長を牽引してきたのが、今年、日本M&Aセンターに転じた中村利江氏だ。出前館社長に就任した経緯を聞いた。(取材・構成:林加愛)

※本稿は『THE21』2021年9月号より一部抜粋・編集したものです。

 

ほっかほっか亭でデリバリーに進出

大学在学中に女子大生によるモーニングコールの事業を立ち上げたのを皮切りに、多様な業界を経験してきました。大学卒業後はリクルートに入社して営業職として働き、出産・育児のために退社したあと、フリーランスを経て「ほっかほっか亭」の運営会社でマーケティングの責任者になりました。

その頃の最大の問題意識は、飲食業者の大半がイートイン型であるという、業界のいびつさでした。諸外国では、イートイン、テイクアウト、デリバリーの3業態が当たり前に存在していました。

そして、晴れた日はお店に出かけて食事を楽しみ、雨が降ればデリバリーを頼む、といった補完関係が機能していたのです。日本のイートイン至上主義は、「おもてなし精神」の反映かもしれませんが、バランスを欠いていました。

ですから、テイクアウトの業態である「ほっかほっか亭」はもっと大きく伸びると考えていましたし、さらに、デリバリーにも進出することにしました。その中で、デリバリーのインターネット受注に乗り出しました。

当時、受注をもらうにはチラシを配り、電話で受けつける形がほとんどでしたが、IT時代の到来を見越し、ホームページでの受注を始めたのです。

インターネットはまだ普及途上でしたが、注文数もリピート率も上々。大きな手応えを感じていた矢先、私はあるベンチャー企業を知ることになります。デリバリーのポータルサイト「出前館」をオープンしたばかりの「夢の街創造委員会(現・出前館)」です。

 

悩み抜いて引き受けた“社長”オファー

ポータルサイトというコンセプトは非常に合理的だと感じました。デリバリーを頼む人は、多数の選択肢をあれこれと比べるものです。ならば、各社のホームページを見比べるより、ポータルサイトで一覧できるほうが便利です。

明らかにユーザーのニーズに適うと考え、ほっかほっか亭は、いち早く出前館に加盟しました。以降、徐々に関係を深めていきました。

その後、子供が小学生になり、保育園の頃よりも家庭と仕事の両立が困難になりました。時間のコントロールができる環境を整えるべく、退社して数人の仲間と企画会社を立ち上げました。

そんなとき、夢の街創造委員会から、社外取締役になってほしいという話がありました。社外なら、と思って引き受けたのですが、最初の取締役会で知ったのは、同社の経営状態が危機的だったということです。多額の負債を抱え、融資を受けることもままなりませんでした。

そこで私は、大阪ガス主催のベンチャー支援のビジネスコンテストへの応募を提案。資料の作成を主導し、プレゼンをしたところ、4000万円を獲得できました。その結果、私は当時の社長から驚きのオファーを受けました。「ぜひ社長になってほしい」と言われたのです。

普段は即断即決の私も、さすがに悩みました。せっかく手に入れた、時間の自由が利く環境。しかも自分の企画会社は黒字経営。その両方を手放して、不安定な会社を引き受けていいのか。

一方、強く惹かれる気持ちもありました。現状はどうあれ、可能性は大きい。いつかインフラ並みのサービスに成長するかもしれない。帰宅後に休む間もなくキッチンに立っているワーキングマザー(私もその一人でした)の助けになり、美味しい料理を多くの人に届けたいと思っているお店の助けにもなる。

そして2002年、37歳のとき、私は夢の街創造委員会の社長を引き受けることを決めました。

 

給料月10万円で奮闘した3年間

予想通り、出だしは苦難の連続。資金繰りの苦しさのみならず、意欲に欠ける社員が少なからずいたことも悩みの種でした。

まず行なったのは、自分の給料を月10万円にすることです。誰よりも安い給料で、誰よりも働き、それについて来られない社員は去るべし、と宣言。やる気のある社員だけを残しました。

シビアな場面も多々ある中、鉄則としていたのは、絶対に弱音を吐かないことです。ネガティブな上司の下では、部下は働く気になれません。社員には常に、事業の社会的意義ややりがい、会社が成長してより良いオフィス環境や報酬が得られる未来のイメージなど、夢や希望を語りました。

とはいえ現実には不安は尽きず、失敗も数知れず。その苦境も「給料月10万円」も、家族には内緒です。泣くのはお風呂の中だけでした。

「あらゆる手を尽くして、万策尽きれば辞めよう」と思っていたのですが、幸か不幸か、一つ失敗しても、プランB、プランCが浮かんできました。そして、どこかでうまくいくのです。それを着実に重ねて、2005年、ついに黒字転換に成功しました。

 

M&Aの経験を活かして「日本企業を活性化」

当初は私がリーダーシップを執って会社を牽引していましたが、大きく成長するにつれて権限移譲を進め、ついに今年、出前館を離れました。追い風に乗っているタイミングで会社を引き継ぐことで、最後の貢献ができたと思います。

今の仕事は、日本M&Aセンターの専務。一見、畑違いへの転身のように思われるかもしれませんが、出前館時代には、特にM&Aを積極的に行なおうと考えていたわけではないものの、結果的に多くのM&Aを行なっていました。

例えば、鹿児島のコールセンター「薩摩恵比寿堂」(現・出前館コミュニケーションズ)。出前館はECの会社ですが、優れたECは例外なく電話によるカスタマーサポートが充実しています。薩摩恵比寿堂のホスピタリティ溢れる電話対応スキルは非常に魅力的でした。

薩摩恵比寿堂も、後継者不在が課題でした。そこで、両社にとってハッピーなM&Aが成立しました。このような幸せなM&Aを多数経験してきたので、その経験を活かしたいと考えたのです。

また、日本企業の停滞を打破したいという動機もあります。良質なモノやサービスを創り出せる日本企業が、GAFAや中国企業に買収される未来は寂しすぎます。地方の中小企業やベンチャー企業に至るまで、日本企業の幸せな出会いを支援し、活性化のお手伝いがしたいのです。

世の助けになり、幸せを生む仕組みに携わりたいという思いは、出前館と出会った頃から今に続く、私の変わらぬ「志」と言えるでしょう。

 

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