2021年02月12日 公開
2022年10月20日 更新
日々目まぐるしく変化するビジネスの世界で、長きにわたって事業を続けている企業は、どのような考え方で仕事をしているのか。
「つゆの素」や「フレッシュパック」でお馴染みのにんべんに取材した。〈取材・構成:杉山直隆、写真撮影:まるやゆういち〉
1699年に初代高津伊兵衛が江戸・日本橋の路上で鰹節や干し魚の販売を始めたのが、にんべんの始まりです。
それからの約320年間を振り返ると、常に業界で初めてのことに挑戦してきた歴史があります。
江戸時代に他の鰹節問屋に先駆けて行なったのが、次の三つです。
一つは「現金掛値なし」。当時は、お客様によって値段を変え、商品の代金を盆暮れに回収するのが一般的でしたが、適正な値段を設定し、その場で現金と交換する形にしたのです。
三井越後屋(現在の三越)が元祖ですが、鰹節問屋では当社が初めてでした。
二つ目は、いつでも鰹節と交換できる「商品券」の販売。これによって、鰹節と交換する前に現金が得られるようになり、キャッシュフローが向上しました。
そして三つ目は、「鰹節製造技術の革新」です。幕末から明治期にかけて、風味豊かな「本枯鰹節」の製法を生み出しました。
戦後も業界初の商品を次々と生み出しました。中でも大きかったのが、今も主力製品である「つゆの素」と「フレッシュパック」の開発です。
「つゆの素」は、鰹節だしを使ったつゆとして市販された初めての商品です。発売した1964年当時は、鰹節のような動物性食品は液体と合わせるとすぐに腐るので、商品化は困難だとされていました。それを、開発責任者が微生物の制御技術を用いて研究を重ねることで、商品化に成功したのです。
最初はあまり売れなかったのですが、地道に営業を重ねることで、ついに89年に、つゆ市場でトップシェアを獲得しました。69年に販売を開始した「フレッシュパック」も画期的な製品でした。
鰹節は削るとすぐに酸化が進むので、「お客様の顔を見てから削れ」と言われるほど繊細で、削ったものを長期保存できる商品として販売することはできないと考えられていました。
しかし、樹脂メーカーが開発した酸素を通しにくい透明フィルムで袋を作り、窒素ガスと一緒に密閉することで、削りたての風味を長い間保持できるようにしたのです。
社内の意見は「売れるはずがない」が大半だったそうですが、売り出すと生産が間に合わないほどの人気を博しました。
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「かつお節だし」がブレイク。挑戦で可能性に気づいた >
更新:11月24日 00:05