2020年11月07日 公開
――インターネットに乗っていない体験を、インターネットに乗せたいと思ったのは、なぜですか?
【加藤】僕は、大学院を休学・中退して、3年間、引きこもっていたのですが、そのときに「インターネットに乗っていない体験はすごくたくさんあるな」と感じたんです。今年、コロナ禍で引きこもらざるを得なくなったことで、そのことに気づいた人も多いと思います。インターネットがこれだけ発達して、ビデオチャットもできるし、SNSでも人とつながれるし、買い物も食事も宅配してもらえるし、娯楽もあるし、調べ物もできる。それなのに、家から出られないのはつらいと感じる。それは、フィジカルを伴った体験ができないからです。
創業した当時は、「インターネットの世界では既にすべてがやり尽くされている」というイメージを誰もが持っている時期だったので、「インターネットに乗っていない体験がたくさんある」と言っても、ピンと来る人はいないようでしたが。
――エンターテイメントのイベントから始めたのは、なぜですか?
【加藤】まず、僕はいわゆるオタクで、引きこもっている間も音楽ライブやコミケに行きたいと思っていましたから、確実に需要があると考えました。
また、最終的に人間は働かなくてよくなるはずなので、遊び場としてclusterを作ったんです。今後は仕事もする場になるかもしれませんが、今はエンターテインメントのプラットフォームとして広がっている最中です。
――人間は働かなくてもよくなる?
【加藤】それは僕に限らず色んな人が言っていることですし、必然の流れだと思います。技術自体がベーシックインカムとして捉えることもできますし、これからさらに技術は進化していきますから。
例えば、お金はいくらでもあげるから、100年前にタイムトラベルしてくださいと言われても、僕は行きたくない。当時の技術レベルだと、お金があっても、今より生活は絶対に不便で、幸福度も下がるでしょうから。今は、技術が進化したことによって、100年前ほど働かなくても幸せに生きられるようになったわけです。さらに技術が進化すれば、人間が働く必要は自然となくなるでしょう。
それに、働かなくてはいけないと決まっているわけではないですよね。生きていくために働くのであって、働かなくても生きていけるようになれば、働かなくてもいい。もちろん、働くことに生きがいを感じている人を否定するわけではありませんが、生きがいは働くこと以外からも得られるとも思います。
――3年間の引きこもり生活から御社のコンセプトが生まれたということですが、引きこもっていたとはいえ、経済的に自立していたようですね。
【加藤】そうです。スマホのカジュアルゲームが流行っていた時期で、多くの企業が参入していました。そんな企業から100万円くらいでアプリゲームの開発を受注して、2週間ほどで納品し、3~4カ月暮らす、というような生活をしていました。
――ゲームを開発する技術は、もともと身につけていた?
【加藤】趣味で中学生の頃からプログラミングをしていました。
――収入があったなら、リアルなイベントにも行けたのでは?
【加藤】声優の水樹奈々さんが好きで、ラジオも毎週聞いていたし、ライブのBlu-rayも全部買っていたのですが、ライブに行きたい気持ちよりも、引きこもりたい気持ちが勝っていたんですよね。いくら高画質のBlu-rayを見ても、実際のライブ会場の熱狂や高揚感は得られないのが明確なペインでした。
どうにか移動しないで済ませられないかと思っているときに出会ったのが、VRでした。Facebookが2012年にInstagramを10億ドルで買収したあと、2014年にOculusというVRデバイスの会社を20億ドルで買収して話題になったんです。どんなものだろうと気になって、まだコンシューマー向けは出ていなかったのですが、開発者向けのキットは販売されていたので、それを取り寄せました。
――その時点では起業は考えていなかった?
【加藤】起業を考えるようになったのは、スカイランドベンチャーズ〔株〕CEO・パートナーの木下慶彦さんから連絡をいただいてからです。
暇潰しに、ゲームを開発するためのゲームエンジンの解説記事をブログに書いていたら、そのゲームエンジンが流行っていたこともあって、多くの人に読んでもらえるようになりました。スカイランドベンチャーズは投資先のゲーム会社で働くエンジニアを探していて、僕のブログを見つけたそうです。Twitterを見て、ゲームアプリやウェブサービスの開発をしていることや、暇そうにしているのもわかったと思います。ウェブサービスを開発していたといっても、例えば他人のスマホのリマインダーが見られるSNSとかで、誰にも使われませんでしたが。他人にリマインダーを見せたい人なんているわけないのですが、その当時は気づかなかったんですよね(笑)。
引きこもっていたのは京都だったのですが、たまたま連絡をいただいた2週間くらいあとにゲームエンジンの勉強会が東京で開催されることになっていて、そこに登壇するために東京に行くことになっていました。そこで、その勉強会の会場に来てくれるなら会うと木下さんに返事をしたら、本当に来てくれたんです。
そこで話をしているうちに、それだけ技術があって、時間もあるのなら、資金的な支援をするからと、会社にするのを勧められました。初対面でいきなりそんなことを言われたので「怪しいな」と思ったのが本音です(笑)。京都に帰ってから自分で色々と調べて、2015年に起業することにしました。
更新:11月23日 00:05