外れのない短編集だが、個人的には表題作が最もお勧めだ。
意識高めの社会派小説家・葉真中顕は、執筆依頼が絶えないほどの人気を誇っている。しかし、自身ではデビュー作が一番の出来で、それ以降の作品はどこか斬新さに欠けると感じていた。そんな折、郭公鶴子というフリーの編集者から、「先生は、今の自分の仕事に足りないものがあると感じていらっしゃるのではないか」と、悩みの核心を突いた依頼メールが届く。殻を破るためにも郭公に会ってみることにした浜名湖は、その打ち合わせの席で思わぬ提案を受ける。それは、「ポリティカル・コレクトネスをテーマにした警察小説」=「政治的に正しい警察小説」を書きませんか、というものだった……。(以上あらすじ)
以前、あるアーティストの作品が、女性差別だとネット上で糾弾されたことがあった。その際に見かけた意見に、「表現の自由は誰かを傷つけていいものではない」というものがある。
「女性ならば誰でも本能的に嫌悪するはずだ」という声も見かけ、私自身はそのアーティストの作品が好きだったのでどちらかというとこの意見の方にちょっと傷ついたのだが、それはさておき、「表現の自由は誰かを傷つけていいものではない」というのは、一見確かに正しい主張のように思える。では、「絶対に誰も傷つけない表現」とは一体どんなものなのだろうか。
もちろん、差別は良くないし、差別表現は避けなければならない。可能な限り中立であるべきだとも思う。
しかし、「誰かを傷つける・傷つけない」という話になるとややこしくなる。人の感覚は十人十色。誰が何を見て傷つくことになるのか、完璧に予測することは不可能だ。突き詰めて考えれば、何も表現できなくなってしまう。
表題作のテーマは、「ポリティカル・コレクトネスが完璧な小説」に挑戦するというものだ。
浜名湖が自信を持って書き上げた原稿について、郭公は様々なダメ出しをする。曰く、
「主人公の女性刑事の名前がカッコ良すぎる。こういう名前をつけるのは、女性刑事だからと下駄を履かせているようなものだ」
「女性刑事がハラスメントに立ち向かい、男性以上に男性らしい活躍をすることで問題を解決する。それは男性優位社会を肯定していることになる」
など、ストーリーの内容から細かい言い回しにいたるまで散々な言いようだ。
しかし、突き詰められてとっさに言葉を返せなくなった浜名湖は、完璧な作品を書くことに目覚め、何度も何度も書き直す。
その先に行きついた、「答え」とは――。
「ポリコレ棒」などという言葉まで生まれるほど、意識が高くなった今だからこそお勧めしたいブラックユーモアに満ちた作品だ。
執筆:Nao(THE21編集部)
更新:11月24日 00:05