2019年03月08日 公開
2023年05月16日 更新
私にとって、オスマン帝国と聞いて真っ先に思い浮かぶワードは「兄弟殺し」だ。
賢明なスルタンたち、ヨーロッパ諸国との派手な攻防、平等な社会システム、勇敢なるイェニチェリ軍団……もちろん、そうしたプラスのイメージはたくさんあるのだが、以前どこかで読んだ兄弟殺し……皇位継承に際し、勝ち残った一人が残った兄弟たちを皆殺しにする風習……これがずっと頭にこびりついて離れなかった。
まるで『HUNTER×HUNTER』の世界だが、現代の感覚からすると、なんとも残虐かつ非効率な制度に思えて仕方がない。ヨーロッパ諸国よりも先進的だったオスマン帝国で、なぜこんな風習が長年続いていたのだろう、と。
本書『オスマン帝国』は、オスマン帝国600年の歴史を、新書1冊で追っていくもの。これだけの情報量を扱うのだから自然、駆け足にならざるを得ないが、駆け足だからこそ全体の流れがわかり、いろいろな読み方ができる一冊だ。
たとえば歴代君主たちのリーダーシップのあり方を比べてみるのも面白いし、ヨーロッパとのパワーバランスの変化を追ってみたり、意外なほど日本と時代がかぶる近代化の歩みを、日本と比べながら読むのも面白い。
そして、本書は私の抱えていた「兄弟殺し」へのモヤモヤもかなり解消してくれた。
もともと、オスマン帝国はその初期、巨大化する過程において、兄弟間の跡目争いで何度も分裂の危機に見舞われていた。
その反乱の根を断つために、当初は「敗れた王子の目を潰す」だったものが、「殺す」に変化していった。こうした流れを見れば、確かに分裂を防ぐための手段としてやむを得ない部分もあったのかと思わないでもない。
ただそれは、徐々にシステム化され、半ばオートマチックに兄弟殺しが行なわれるようになっていく。
読んで思わず身震いしたのが、ムラト3世即位時の記述だ。
「忠誠の誓い、帯剣式、先代スルタンたちの墓廟への参詣、そして5人の弟の処刑など、スルタン即位のための一連の儀式と慣行はつつがなく執り行われ、ここにムラト3世の治世が始まることとなった」(p157)
式典や墓参といったイベントと「処刑」が並列に……淡々と描かれているだけに、かえってすごみがある。メフメト2世やスレイマン1世が出た直後にあたるこの時代、オスマン帝国は絶頂期といっていい時代だっただけに、なぜこの残虐な不合理がそのままなのか、不思議な気すらしてくる。
ただ、この後内部から疑問が呈される。ムラト2世の後を継いだメフメト3世は、処刑される運命にある弟たちの顔を直視できなかったという。また、処刑された王子たちの葬列に民衆が悲嘆にくれたとの記述も。やはり多くの人がおかしいと思っていたわけで、つまり今の感覚が通用するのだなと少し安心する。
そして、兄弟殺しは制度としては廃止されることに。
ただ、ここで話が終わらないのが面白いところ。
兄弟殺しがなくなったことにより、オスマン帝国には「王の替え」が存在するようになった。すると、何が起こったか。力を持った臣下が気に入らない君主に対し反乱を起こし、別の王を擁立するというクーデターが、この後相次ぐようになったのだ。
そしてそれを防ぐため、兄弟殺しは制度としてではないが、しばしば行われることになる。
本来、兄弟間の争いを防ぐためだったはずの制度が、別の抑止力を持っていた、ということ。なんとも皮肉な話かつ、面白い話だ。
これはあくまで一例で、やはり「600年」を俯瞰するといろいろなことが見える。そんな歴史の面白さを味わわせてくれる一冊。
執筆:Y村(THE21編集部)
更新:11月22日 00:05