このように、自己肯定感は限りない可能性を内包している。しかし、我々日本人は、ともすれば、それを押し込めてしまう。
「『出る杭は打たれる』文化の影響が大きいのではないかと思います。同調圧力が強く、自己主張をすると叩かれる。
謙譲の美徳は素晴らしいものですが、それが昂じて、『謙虚』と『卑下』を混同している人も多くいます。
謙虚とは、『威張らない』こと。虚勢を張る必要など生じない、自己肯定感から生まれる穏やかさです。
対して、卑下は、自己否定から生まれるものです」
謙虚なのか、卑下しているのかは、褒められたときに浮き彫りになるという。
「卑下する人は『いえいえ、私なんて』とすぐに言います。賞賛を受けるような人間ではない、というわけですね。
謙虚な人なら、『私などまだまだです』と言うでしょう。これは、言い換えれば、『私はまだまだやれます』ということ。やはり、未来の自分への承認があるのです」
自己肯定感と「自信」は似ているように思えるが、別物だと三浦氏は話す。その違いは、どこにあるのだろうか。
「自信は、他者よりも秀でている部分を認識することで生まれる、相対的なものです。
対して、自己肯定感は、比較を伴いません。
生きるうえではどちらも不可欠ですが、自己肯定感がないままに自信だけを持つと、自分より優れた存在に出会った瞬間、ポキリと心が折れてしまいます。自己肯定感を土台にして、その上に自信を積み重ねられたら、最強です」
自分にダメ出しをせず、OKを出そうとしても、他人からダメ出しを受けてしまうこともある。
「部下にダメを出す上司などが、その代表格です。欠点をあげつらったり、やりたいことを全否定したり。
こうした人のことを、私は『ドリームキラー』と呼んでいます」
ドリームキラーに潰されないためには、どうすればいいのだろうか。
「まず、『この人はドリームキラーだ』と認識すること。『夢を壊してまわる習性のある人なのだから、否定してくるのは当たり前』と思えば、冷静に受け止められます」
ドリームキラーを恨むのも、非生産的なのでやめよう、と勧める。
「彼らはバンパイアのようなもの。他のドリームキラーに噛まれたことで、ドリームキラーに変身してしまったのです。
人間は誰でも、本来、夢を追いかける『ドリームメーカー』です。ところが、どこかの段階で、『できるわけないじゃないか』などと言うドリームキラーにやられてしまう。そうして勇気を挫かれると、他の人にも同じことをしてしまうのです。
ですから、ドリームキラーに出会ったら『この人は噛まれたんだな、気の毒に』と思いましょう。心に余裕が生まれて、『この人の言うことなど、どうでもいい』と思えます」
メンタルにダメージを与える人や出来事にはすべて、この「どうでもいい化」作戦で応じるべし、と三浦氏。
「身の周りで起こることのうち、その人にとって重要なことは1%程度で、残り99%はどうでもいいことなのです。そこを見極めれば、無用な落ち込みに足を取られることはなくなります」
更新:11月23日 00:05