2018年08月11日 公開
2023年01月30日 更新
第二電電(現KDDI)を立ち上げて、通信業界に風穴を開けた千本氏。1999年にはイー・アクセスを創業し、いち早くインターネット業界に参入するなど、日本を代表する起業家の一人だ。現在は、グリーンエネルギー事業に取り組んでいる。なぜ、千本氏は起業家精神を持つようになったのか?
組織は、爛熟期を迎えると、内部でスキャンダルが起きるものです。私が勤めていた電電公社でも、1980年に、近畿電気通信局で不正経理事件が起こりました。
その翌年、石川島播磨重工業(現IHI)社長を務めた真藤恒氏が、電電公社総裁に就任しました。それまでの歴代総裁は生え抜きだったのですが、不正が起こらないよう組織を改革するため、外部から送り込まれたのです。中曽根政権が国有企業の民営化政策を進めていたときで、真藤氏は、それを推進する使命も帯びていました。
30万人の電電公社社員は、誰もが、「船を造っていた人間に、ハイテクな通信のことがわかるわけがない。すぐに辞めるだろう」と思っていました。私もそうでした。
ところが、真藤氏は劇的に改革を実行したのです。
当時、私は総裁と直接会える立場ではありませんでしたが、会社が変わる様子を見て感化され、真藤氏を応援するようになりました。
それとともに、真藤氏が進める「改革と民営化」だけでは不十分だとも思うようになりました。
私は米国留学の経験があり、毎年、ジュネーブで行なわれる会議にも参加していたので、健全な競争環境を作ることが世界の通信業界の趨勢だと認識していました。
一方、日本の通信業界は、まだ電電公社1社による独占。そのため、電話料金が非常に高かった。これを解消するには、「強烈な競合」を作り、競争を起こさなければならない。そう考えました。
そんなことを言うと、周囲からは総スカンですよ。それでも、あらゆる機会を捉えて、繰り返し、その話をしてまわりました。
83年9月の京都商工会議所での講演でも、同じ話をしました。そこで出会ったのが、異能の経営者として有名になっていた、京セラ社長の稲盛和夫氏です。
「一緒に情報通信革命を起こしましょう。必要な知識は、私が持っています。ただ、『強烈な競合』を作るための経営思想とお金はないので、提供してほしい」と、私は稲盛氏を口説きました。
当時の稲盛氏は、通信については素人です。それなのに、「腹を決めた。ぜひやりましょう」と答えてくれました。
その年の12月、私は電電公社を退職。そして翌年、41歳のとき、稲盛氏とともに第二電電を創業しました。今のKDDIです。
世の中を変えるには、「波」が来ているときに動かなければなりません。私にとっての第一波が、世界的な通信業界の変化でした。その波を捉えたことと、稲盛氏という偉大な人物との出会いが、情報通信革命を起こせた理由です。
その後、インターネットの波が来たときには、イー・アクセスを創業しました。今は、グリーンエネルギーの波に乗って、レノバを経営しています。
では、どうすれば波を捉えられるのか。それには、実際に足を運んで、自分の目で世界を見ること。そうしてこそ、世界の動きが、感動を伴って認識できるのです。
《『THE21』2018年8月号より》
更新:11月23日 00:05