2018年03月09日 公開
2018年03月16日 更新
とはいえ、検事が対峙するのは犯罪者だ。なかには殺人や強盗などの凶悪犯もいる。普通なら、「たとえ同じ人間でも到底理解できない」と思うだろう。
「一般の認識としてはそれが普通です。でも検事の使命は、犯行の事実と背景を明らかにすること。そのために重要なのは、相手の話を聞くときに自分の価値判断を差し挟まないことです。こちらが感情的になって『こいつは絶対に許せない』などとその場で相手を裁いたら、相手にそれが伝わって、本当のことは言わなくなります。でも、こちらが『自分の中にも相手と似た部分があるはずだ』という前提に立てば、相手は『この人は自分を受け入れてくれた』と感じて、真実を話そうとします。
どんなに凶悪な犯罪者でも、その人物なりの理屈があります。最近なら、神奈川県の障害者施設『やまゆり園』を襲って十九人を殺害した被疑者の言葉は、世間の誰もがとんでもないと思ったでしょう。彼は『障害者は周囲を不幸にする。だから自分がしたことは日本のためなのだ』と供述しています。
もちろん私も憤りを感じます。しかし、これが彼の理屈であり、論理なのです。だから私がもし検事としてこの被疑者を聴取するなら、『なるほど、これが彼の理屈なのだ』と受け止めます。そして、犯行当時はどんな心理状態だったか、どんな手口で行ったかなどを淡々と聞き出すでしょう。その善悪は、すべて聞き終わった後に総合して判断すればいいのです」
これらは検事という職業ならではのケースに思えるかもしれない。だが私たちの日常でも、最初から「この人とは絶対に分かり合えない」と決めつけてしまうことがあるのではないだろうか。それが相手との間に心理的なハードルを作り、お互いを理解し合うのが難しくなっていることは多いはずだ。
「私は同じ人間として、常に『相手を知りたい』という興味を持っています。だから時には、被疑者に教えを請うこともある。相手が泥棒や詐欺師でも、犯罪の手法やその世界のしきたりについて、『何それ? どういうことか教えて』と聞くわけです。
相手にしてみれば、まさか犯罪のやり方について目を輝かせながら聞いてくれる検事がいるとは思っていませんから、嬉しくなってペラペラしゃべっちゃう(笑)。でも、私は別に演技しているわけでありません。検事として犯罪の情報や知識を得ることは必要ですから、本当に興味津々で聞いているだけ。被疑者も自分を守ろうと必死ですから、こちらが興味あるフリをしても見抜かれて、相手は口を閉ざしてしまいます。常に『相手のことを知りたい』という本気の好奇心を持つことが、相手の本音を引き出すための何よりのテクニックなのです」
相手を知りたいと思えば、相手をじっくり観察するようにもなる。それがさらに相手の本音を引き出す材料になるという。
「私が検事時代に取り調べた被疑者で、なかなか口を割らない女性がいました。聴取が二週間に及ぶ中、私はひたすら彼女の表情や動作を観察しました。そしてある日、取調室に入ってきた彼女を見て、『君、今日は前髪をちょっと変えたね』と言ったのです。相手が『なぜわかるんですか』と驚くので、私が『わかるよ、だって僕は毎日ずっと君のことばかり見てるんだから』と言ったら、彼女はワッと泣き出して、『全部お話します』と自白を始めたのです。
どんな犯罪者といえども、隠しごとをするのはつらい。ギリギリの精神状態が続いたとき、小さな変化でも見逃さないほど自分に関心を持ってくれている人がいれば、その熱意は伝わります。『この人は自分を一番よく理解してくれている』と思わせること。それが相手との信頼関係を生み出し、本音を引き出す何よりの技術なのです。
ビジネスマンの皆さんも、職場の上司や部下、家族に対して、『相手の気持ちがわからない』と悩むことがあると思います。でもそれは、自分の価値観で周波数を固定したまま、ラジオのダイヤルを回そうとしていないからではないでしょうか。失敗しながらでいいから、微調整を繰り返して、『この人の声はここが一番よく聞こえる』という周波数を手探りで見つけていくことが大事です。
相手を知りたいと思う相手本位の姿勢を心がければ、他人の本音を知る技術が少しずつ身に付いていくはずです」
《『THE21』2018年4月号より》
更新:11月24日 00:05