佐々木氏が課長になった34年前は、まさに「サラリーマンは家庭も顧みずに働いてこそ一人前」というのが常識だった時代。その中で毎日定時に退社し、自分の部下たちにも残業ゼロを徹底させた佐々木氏は、「組織の中で完全なマイノリティだった」と振り返る。それでも周囲の批判や反発に潰されることなく、職場の働き方改革を実行できたのはなぜか。
「中間管理職が自分のチームの働き方を変えるには、上司と密にコミュニケーションをとることがカギになります。
私は管理職として異動になるたび、着任してすぐ直属の上司のもとへ行き、『私はこのようなやり方で残業を減らしますが、結果はきちんと出します』と宣言しました。
さらに、節目ごとに上司への報告を欠かさず、『着任から3カ月で残業は60時間から30時間に減りましたが、業績は上がっています。そこで次は、20時間まで減らしたいと思います』とこまめに現在の状況を伝えたのです。
すると上司も『残業は減っているが、ちゃんと結果は出ているから、手を抜いているわけじゃないんだな』とわかる。そうすれば、私のやり方にも口を出さなくなります。
これを何も言わずに勝手にやろうとすると、『あのチームは毎日早く帰って暇そうだから、もっと仕事を与えよう』となってしまう。新しいことをやりたいなら、自分の上司と丁寧にコミュニケーションし、信頼関係を作ることが重要です」
佐々木氏の働き方改革は、やがて社内でも評判になる。それとともに、周囲の反応も変わっていったという。
「私が残業ゼロ改革を始めた頃は、周囲から『あいつはおかしなヤツだ』という目で見られていました。でもそのうち、『佐々木さんの部下になると、残業せずに早く帰れる上、みんな昇格できるらしい』という評判が広まっていった。私は労働時間の削減だけでなく、部下を昇格させるための社内的な根回しにも全力を尽くしましたからね。
すると私がどの部署に異動になっても歓迎され、私が何も言わなくても、部下たちが残業を減らそうと努力や工夫をするようになったのです。だから働き方改革を潰されるどころか、むしろ仕事はどんどんやりやすくなりました。
長時間働かないことは、私自身の出世や評価にも、何のデメリットにもなりませんでした。夜遅くまで残業している人たちより早く、同期で最初に役員になったのは私ですから。限られた時間しか働かなくても、上は結果さえ出せば文句は言わないということです。
いきなり会社全体を変えるのは難しいかもしれない。でも、自分のチームを変えることはできる。そこで結果を出せば、それを認めてくれる人も少しずつ増えていくはずです」
「粘土層」の世代の価値観が変わるのを待っていたら、いつまで経っても「休める職場」は作れない。まずは管理職がみずからの生き方を見つめ直し、自分のチームの働き方から変えていくことが必要と言えるだろう。
(『THE21』2017年12月号特集「本当に疲れが取れる40代からの休息術」より)
更新:01月19日 00:05