2017年03月10日 公開
2023年07月12日 更新
水上氏の手。ゴツゴツした手は、職人の勲章であり、遺影にしてほしいとのこと。
その後、水上氏は29歳で独立。東京の小石川に「一幸庵」を構える。しかし、開店後の10年は客足が伸びない苦しい時代が続いた。
「知名度も低く、お客さんが来ない日が続きました。それでも、ただ愚直に和菓子を作り続け、徐々に通い続けてくれるお客さんが増えてきたのです。今では、遠方から通い詰めてくれるお客さんもいます。今、飯が食えるようになったのもひとえに、そうしたお客さんに店を育ててもらったおかげです」
しかし、水上氏は和菓子一本で生計を立てられる職人が減ってきたとため息をつく。
「洋菓子が日常のものとして浸透し、和菓子が非日常のものになってしまったからです。おはぎを作る家庭は、今では珍しいでしょう。戦後70年、私たちの食卓の中心は洋食です。
ただ、生活様式の変化に対応できなかった和菓子職人たちにも責任はあります。畳やお茶があれば和菓子は安泰、とばかりに『伝統さえ守っていれば良い』と胡坐をかいていたのです。そうしているうちに、マンションが増え和室は減り、お茶も急須の抹茶ではなく、ペットボトルのお茶が主流になってしまったのです」
その中で、和菓子が生き残るにはどうすべきだと考えているのだろうか。
「和菓子を再び身近な存在に引き戻していくことです。そのためには、『和菓子の良さと伝統』を発信していくことが大切です。
たとえば、秋の十五夜には『月見団子』、十三夜に『栗おこわ』、十夜に『稲のおこわ』を楽しむよう呼びかける。もともと、日本には72もの季節があり、それに合わせて和菓子を楽しむ文化があるのです」
更新:11月24日 00:05