2016年11月25日 公開
2016年11月25日 更新
――御社の創業は2004年です。その経緯についてお教えください。
山川 私は当社の創業前からワイズ山川という会社も経営しています。ワイズ山川はクルマの買取りを行なっている会社で、仕入れた中古車を日本国内のオークションに出品していたのですが、1990年代末頃からパキスタン人などの外国人をオークション会場でよく目にするようになりました。彼らはけっこうな高値で中古車を買うのですが、それを輸出して利益を得ていたんです。それを見て、「自分が出品したクルマで彼らが儲けるなんて悔しいな。自分で輸出もできないものか」と思いました。そのほうが利幅も大きくなるし、日本のクルマなんだから日本人の自分たちがやりたいじゃないですか。
――中古車をオークションで売るのと輸出するのとではまったく違うビジネスだと思います。はじめからうまくいきましたか?
山川 最初は騙されました。初めての取引きは当社を立ち上げる前で、ワイズ山川として、タイにいるミャンマー人にクルマを預けました。同業者に紹介してもらった人です。彼がミャンマーやカンボジアで販売して、売れたら代金をもらうことになっていたのです。今から振り返れば、騙されて当然の幼稚なビジネスをやったわけです(笑)。それで2,500万円の損をしました。そのミャンマー人を紹介してくれた同業者も、私と一緒に騙されました。タイで訴訟を起こしたものの、1審は証拠不十分で敗訴、2審は私の雇った弁護士が相手に買収されてしまうという結果に終わりました。
その次は、もう騙されたくありませんから、ニュージーランドにいる日本人を相手に取引きをすることにしました。当社を設立した2004年のことです。そうしたら、また騙された(笑)。全然売れていないのに「もっとクルマを送ってくれたら、いろんなことができる」と言われて、その話に乗ったら2億5,000万円の損をしました。勉強代が10倍になってしまったわけです(笑)。
とはいえ、ワイズ山川で仕入れたクルマからオーディオやテレビ、ナビなどを外して、ビィ・フォアードが『Yahoo! オークション』(現ヤフオク!)で売るというビジネスも並行してやっていて、それで利益を出せていました。
――大きな損をしても中古車輸出業を諦めなかったんですね。
山川 そうとうバカなんでしょうね(笑)。
――当時はまだインターネット販売ではなかったわけですね。
山川 はい。そのニュージーランドの日本人に、現地のディーラーに売ってもらうという「業販」の形です。
とはいえ、ビィ・フォアードは設立時からインターネットでのビジネスを目指していました。『Yahoo! オークション』でオーディオなどを販売していたのも、インターネットでのビジネスについての知見を得るためです。
――その次はどうされたのですか?
山川 私は学生時代から自動車レースをやっていたので、自分の得意分野であり、しかも他の人がやっていないということで、スポーツタイプのクルマの輸出を考えました。
ちょうど、『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(2006年)という映画が流行したときに売れたスポーツタイプのクルマが、流行が終わるにつれて中古市場に安値で出回るようになった時期だったので、それを仕入れて、英語のウェブサイトに載せました。すると、カナダ、豪州、ニュージーランド、英国、アイルランドといった国々から注文が入り始めた。そうこうするうちに月に40台くらい売れるようになって、当時の社員数は3人でしたから、事業として十分に成立するようになりました。
――そこから業容を拡大した?
山川 やりながら、「この状況がこのまま続くわけがない」と思っていましたね。ブームは廃れるものですから。そこで、ワイズ山川で仕入れた解体車をウェブサイトに載せることにしたのです。3万円ほどのお金をいただいて引き取る、いわゆる「ポンコツ」です。今は鉄などが売れるようになったので、どんなクルマでもお金を支払って仕入れるのですが、当時は「お金を払うから処分してほしい」と言われて引き取るクルマがけっこうありました。
すると、マイナス3万円で仕入れたクルマが7~9万円で売れたのです。ザンビアなんていう聞いたことのなかった国から注文が来たので、どこにあるのか調べましたよ(笑)。タンザニアやジンバブエ、コンゴなどからも注文が入ってきて、そのうちアフリカだけでなく、オセアニアやカリブ諸国からも注文が入るようになりました。
――自然と注文が来たわけですか。
山川 はい。SEO対策もしていなければウェブ広告も出していませんし、もちろん現地で広告を打つなんてしていません。ただウェブサイトに載せていただけです。
注文が増えてくると解体車だけでは足りなくなって、オークション会場で仕入れるようになりました。日本全国のオークション会場を回って、家に帰れない日々が続きました。
――海外に出張されることはなかった?
山川 当時はありませんでした。アフリカに初めて行ったのは2011年になってからです。
――その後、大きく飛躍するきっかけはありましたか?
山川 東日本大震災のとき、海外に避難した外国人を含めて、クルマを手放す人が増えました。それで中古車市場にクルマが溢れて、価格が大きく下がった。私は銀行を回って借りられるだけの資金を借りて、仕入れられるだけ仕入れました。仕入れれば売れる自信がありましたから。このときを契機に、一気に会社が大きくなりました。
――御社の成功を見て、他社が真似をすることはありませんでしたか?
山川 ありました。そうとう真似をされましたよ。ロゴはさすがに違いますが、「これ、ビィ・フォアードのサイトじゃないか」と思うようなウェブサイトがたくさんあります(笑)。
でも、結局、トップページを真似ているだけで、ウェブサイトのシステムの構築がきちんとできているのは当社だけです。この業界で、当社のようにシステムに投資をしている会社は、他に1社もありません。
――もともとコンピュータに詳しくなかったということですが、なぜシステムへの投資が重要だと考えたのですか?
山川 私は、少ない従業員数で大きな利益を出したいんです。それで、みんなでハワイやグアムに行ったりして遊びたい。少人数でやるには、システムを活用するのが効果的なわけです。そのためにエンジニアも多く採用しました。一番多いときで70人ほどいましたね。
――オフィスに入ったら、雰囲気がIT企業のようでした。
山川 ええ、うちはIT企業ですよ。ECサイトとして日本では10位くらいなのですが、国境を超える「越境ECサイト」としては、2位を大きく引き離して日本一です。
――システムへの投資を大きくされたのは、いつ頃ですか?
山川 やはり震災前後の時期ですね。
お客様からの問い合わせはメールで受けつけるのですが、新興国からの問い合わせは、実際のところ、ほとんどが冷やかしなんです。価格を聞かれて答えても、まず買いません。請求書を出しても、半分の人は支払いをしません。当社は支払いがなければ発送しないのですが、そういうお客様に限って「本当に買うつもりなのに」と苦情を入れてきます。それでも、当社ではすべてのメールに丁寧に返信をしていました。「夕方5時までに届いたメールにすべて返信するまで帰るな」と言っていました。これが他社に勝てた大きな要因だと信じています。
でも、これを続けていると社員がまいってしまう。そこで、ウェブサイト上で、たとえば「タンザニアのダルエスサラームまでこのクルマを届けるには、送料を含めていくらです」ということをお客様が自分で調べられるようにするなどのシステムを導入しました。そのぶん、当社の社員への問い合わせのメールが減って、負担が減るわけです。日本の通販サイトなら当たり前のことなのですが、この業界ではなかったことです。
ウェブサイトからほしいクルマを選び、住所などを入力すると、送料込みでいくらなのかがわかる。
――外国人の社員の方も多いということですが、それはいつ頃からですか?
山川 これも2011年頃です。初めて入社した外国人は、日本に約25年間いて、国籍も日本になっているパキスタン人でした。もともと私の友人で、同業者だったのですが、事業に失敗して「仕事がないから雇ってほしい」と言われたのです。
次に入社したのが、ロシア語ができるウズベキスタン人です。それまで英語圏でしかビジネスをできていなかったので、ロシア語圏に打って出るために採用しました。ロシア経済は低迷していますが、旧ソ連の国々には市場があります。
「絶対に外国人を入れたほうがいい」と確信したのは、その後、モンゴルで成功したときでした。あるとき、入社したいというモンゴル人が来たので採用したんです。モンゴルはほとんどモンゴル語しか通じない市場で、当時のモンゴルへの輸出台数は0台だったのですが、彼が入社してから1年間で140台を輸出しました。その翌年には約2,900台になりました。「モンゴル人同士でやり取りをすればこんなに売れるんだ」と驚きましたよ。昨年は約6,000台にまで伸びています。
――モンゴルでそれほどの大成功を収められたのは、なぜだったのでしょうか?
山川 そのモンゴル人の社員が優秀だったということですが、具体的な施策を挙げると、まずクルマを購入していただいたお客様に「愛車セット」を無料でプレゼントしたということがあります。フロアマットや三角表示板、救急セット、ブースターケーブルなどをセットにしたものです。日本では愛車セットをプレゼントすることは一般的で、「ダサい」と思われることも多いのですが、新興国だと喜ばれるんです。しかも、それを当社のブランドカラーであるオレンジ色で統一しました。
『ビィ・フォアードカード』の発行もしました。ICチップにお客様とクルマの情報を入れたカードで、それを持っていけば、ガラス屋や鈑金屋、カー用品店などで割引きが受けられるし、保険料も安くなる、というものです。現地のエージェントが各社と提携を結んで実現したサービスです。これも日本では一般的なサービスですが、モンゴルでは新しかった。
モンゴルで発行している『ビィ・フォアードカード』。ロゴは以前のもので、現在とは異なる。
――他の国でもやっているのですか?
山川 いえ、これらはモンゴルだけです。国によって喜ばれるサービスは違いますから。
――世界中で展開しているサービスはありますか?
山川 ロゴの入ったTシャツをプレゼントしています。新興国の人は、格好良いデザインのTシャツだということで、喜んでくれています。出張に行くと着てくれている人を見かけることがあって、そのときは嬉しいですね。
――外国人社員が増えたことで、マネジメント上の問題は生じていませんか?
山川 外国人も日本人も変わりませんよ。むしろ、日本人の若い人のほうが問題です(笑)。
――外国人社員の採用は、どういう形で行なっているのでしょうか?
山川 口コミが多いです。外国人がホワイトカラーで働ける会社は限られていますし、しかも自分の国に貢献できる仕事ですから、話を聞いて入社を希望してきます。ビィ・フォアードの社員だということがブランドになる国もありますし、中には駐日大使館の紹介で入社した人もいます。義理の父が駐日大使という人もいますよ。
更新:11月22日 00:05