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40代でターニングポイントを迎えた名経営者たち

2016年03月15日 公開
2023年01月05日 更新

『THE21』編集部

人生の指針は先人たちが示してくれる

 

 私たちは、40代において、どのように働くべきか。それを教えてくれるのは、今も活躍を続けている人たちだけではない。時代は変わっても、過去に活躍した「名経営者」と呼ばれる人たちから学べることは多い。ここでは、その中でも、40代の大きな転機を乗り越えて成功した人たちをピックアップした。

 

佐治敬三(サントリー第2代社長)
あえて厳しい事業にチャレンジ

 1945年、佐治は父・鳥井信治郎が創業したサントリーに入社。同社は『赤玉ポートワイン』やウイスキーを主力商品に成長を続け、高度成長期に入ると「絶好調で作れば何ぼでも売れる状態」(佐治)になった。しかし、61年に社長に就任した佐治は、それに安住しなかった。63年、43歳のとき、大手による寡占で競争環境が厳しいビール事業にあえて参入したのだ。しかも、ビール事業は34年に一度撤退している。「(いくらでも売れる状態に慣れれば)会社がやがて傾く。だからビールに再進出した」と佐治は言う。ここに端的に現われた佐治の精神がサントリーを大きくしたと言えよう。

1919年、大阪府生まれ。大阪帝国大学卒業後、45年に壽屋(現サントリーホールディングス)に入社。61年、社長に就任。63年、サントリーに社名変更。90年、会長に就任。99年、逝去。

 

青井忠治(丸井創業者)
挫折を経て、41歳で再スタート

 たとえ大きな挫折をしたとしても、40代で再出発し、大きな成功を収めることはできる。青井は1931年に、東京・中野に初めて自分の店舗を開いた。これが、今や誰もが知る丸井の始まりだ。順調に商売を拡大し、5店舗まで広げるが、戦争の進展とともに政府の経済統制が厳しくなり、41年に廃業に追い込まれることになった。ここで、いったん丸井の歴史は途切れる。しかし、41歳のとき、疎開先の長野県上伊那郡箕輪町で玉音放送を聞くや、青井は丸井の再興を誓う。わずか2週間余りのちには、戦後の混乱の中にある東京に戻ったのだ。この不屈の想いがなければ、今日の丸井はない。

1904年、富山県生まれ。22年、富山県立工芸高校を卒業後、上京し、丸二商会に入社。31年、のれん分けで独立。35年、商号を丸井に。60年、日本初のクレジットカードを発行。75年、逝去。

 

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