2016年03月09日 公開
2023年01月18日 更新
「トゥギャザーしようぜ」「藪からスティック」「人生マウンテンありバレーあり」……独特のインパクトで心をつかむ「ルー語」。その誕生の背景には、少年期より異文化に親しんできたルー大柴氏のあくなき好奇心があった。英語学習や外国人に対する「心の壁」を一蹴する、ルー流・英語の楽しみ方とは?
日本語のセンテンスの中に突如として現われる英単語が笑いを誘う「ルー語」。この不思議な言語は一朝一夕にできたものではない。では、どのように英語と親しみ、この言葉を生み出したのだろうか。
「ルーツは、幼少期の環境にあります。私の父はハルピンで育ったため、中国語とロシア語と英語を話せました。そのせいか家庭内での日常会話にやたら英語を混ぜるのです。『そのストロベリーをイートしなさい』とか。まさにルー語ですよね(笑)。ルーというニックネームも、亨という本名の『る』から、父が呼び始めたものなんですよ」
そうした家庭環境に加え、60年代からさかんに流入してきた洋画やドラマの影響も強かったと振り返る。
「ドラマを観ていると、外国人は表情もゼスチャーもやたら大きく、それが日本人と違って、なんとも面白い。僕の異文化体験は、そんな『楽しそう』という感覚から始まっています」
そのポジティブな感じ方には、どこか「笑い」も混じっている。
「中学に入り、英語を勉強し始めた頃、『difficult』という単語を教えられると『な~にがディフィカルトだよ』と、妙にツボにハマりました。語感というか感覚の違いがおかしいというか……、チャイルドのときってそういうところありませんか。『マーベラス』という単語も、当時よく使っていましたね(笑)」
憧れたり面白がったりしながら異文化と接し、次第にルー少年の心に「外国に行きたい」という思いが芽生え始める。
「高校時代に交際していたガールが帰国子女で、これまた『ミーはね……』と英語交じり。だから僕も『リアリー?』などと返していました。
そんな中で、外国への興味は日増しに強まり、英会話学校にも行きました。1970年の大阪万博に行って、外国のご婦人に『一緒にピクチャーを撮ってくれませんか?』と話しかけたことも。外国人とたくさん接してみたかったのです」
そして高校卒業後、18歳で渡英。ロンドンに下宿し、語学学校へ通った。今も日常会話なら「普通の英会話」ができるルー大柴氏だが、当初は周囲の英語がまるで聴き取れなかったという。
「それでも『オウ、イエー』とかなんとか言いつつ何かを答える。間違っていたらまた聞く、合ってたらラッキー。その調子で下宿のご主人夫妻やクラス仲間と接するうち、なんとか意思の疎通ができるように」
語学学校を終えたあと、英国を出てヒッチハイクの旅に出ることにしたルー氏。その別れ際に、下宿屋のご主人がくれたアドバイスは忘れられないという。
「『なんでもイエスと言っていたら馬鹿だと思われる。嫌なのは嫌だと言うんだよ』と。実際、外国には一人旅の東洋人を馬鹿にするような輩もいます。だから堂々としていることにしました。物おじせずイエス・ノーをはっきり言う。すると相手の見る目が変わる。言葉が下手でも、意志を示せる人間は尊重されることを知りました」
その後回ったのは、北欧やドイツ、ベルギー、オランダといった英語圏以外の国々だった。
「当時はヒッピー文化の影響もあって、どこの国も旅人でいっぱい。そんな旅人たちの唯一の共通語は英語でした。片言の英語でお互いにコミュニケーションを取り合いながら、ユースホステルに泊まるのです。
スウェーデンでは、駅で出会った女の子が泊めてくれたり……。ロマンスはなかったけれど、私が旅立つときには泣いてくれましたね」
更新:11月25日 00:05