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「藻谷浩介と行く南三陸鉄道講演ツアー」同行取材ルポ 前編

2015年06月09日 公開
2023年01月12日 更新

藻谷浩介(日本総合研究所主席研究員)

 

「70年に盛駅からわずか2駅北の綾里駅までで開業した南三陸鉄道が釜石までつながったのは、ようやく84年になってからです。もちろん、山が険しくて工事が難しかったということもありますが、今は同じ岩手県内とはいえ、釜石は南部藩、大船渡は伊達藩と分かれていたことによる気風の違いも影響したでしょう。南部藩は武士の藩、伊達藩は商人の藩です」(藻谷氏)

 吉浜駅から綾里駅にかけては、2001年に大船渡市と合併した旧三陸町に当たる。

「この地域の集落は、明治三陸地震を教訓に高台移転をしていたので、東日本大震災の津波による被害は少なかった。

 栽培漁業が主要な産業で、とくにアワビは中国への輸出もしており、年収の高い人が多い地域でもあります。

 海岸近くに見えるのは漁業のための施設です。昼間、働いている人だけがいる建物なら、津波が来るまでに避難できるので、海沿いに建ててもいい、という方向性が出ているのです」(藻谷氏)

旧三陸町で行なわれている工事。海岸沿いには産業施設が建設される。

 綾里駅の辺りで険しい山地が終わり、そこから南は丘陵地帯に入っていく。

「盛駅の手前で、太平洋セメントの大船渡工場が見えてきます。大船渡鉱山で採掘される石灰石を岩手開発鉄道という貨物線で運んで、セメントを作っている工場です。

 この工場も被害を受けましたが、急ピッチで復旧させました。セメント工場ではキルンという高温の窯が使われていて、廃棄物の焼却処理にも使われます。震災で生じた大量のガレキの処理のためにも、早期の稼働が必要だったのです。

 釜石もそうですが、震災後も残っている三陸の工場には、残っているだけの理由があります。水産加工工場にはつぶれてしまったところが多くありますが、それは、中国から輸入したすり身を加工し、製品は大都市へ出荷していて、三陸に工場がある必然性がなくなっていたからです」(藻谷氏)

太平洋セメント大船渡工場へと石灰石を運ぶ岩手開発鉄道の車両。

 盛駅で下車すると、プラットホームの反対側はバス専用路線になっている。震災前はJR大船渡線が運行していたのだが、被災し、13年にBRT(バス高速輸送システム)として仮復旧しているのだ。

「藻谷浩介と行く南三陸鉄道講演ツアー」同行取材ルポ〈2〉へ続く》

著者紹介

藻谷浩介(もたに・こうすけ)

〔株〕日本総合研究所主席研究員

1964年、山口県生まれ。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)、米国コロンビア大学留学などを経て、現職。2000年頃より地域振興について研究・調査・講演を行なう。10年に刊行した『デフレの正体』(角川新書)がベストセラーとなる。13年に刊行した『里山資本主義』(NHK広島取材班との共著/角川新書)で新書大賞2014を受賞。14年、対話集『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社)を刊行。

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