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「藻谷浩介と行く南三陸鉄道講演ツアー」同行取材ルポ 前編

2015年06月09日 公開
2023年01月12日 更新

藻谷浩介(日本総合研究所主席研究員)

 

 トンネルを抜けるとまさに山中の風景で、すぐ近くにあるはずの海があまり見えない。わずかに垣間見える海面は、津波が起こったとは思えない穏やかさだ。この辺りの海は、普段は瀬戸内海のように静かなのだと藻谷氏は話す。

穏やかな海面がところどころから見える。

 しばらく行くと、広い土地を造成している工事現場が見える。かさ上げ工事だ。

釜石市中心部から鵜住居へ向かう途中、両石でJR山田線の鉄橋を望む。JR山田線は、復旧後、三陸鉄道に経営が移されることになっている。下ではかさ上げ工事が進む。

かさ上げ工事が進む鵜住居地区に入る。

「今は何もないこの土地には、鵜住居の集落がありました。津波で丸ごと消滅してしまったのです。ところが、ここに建っていた釜石東中学校と鵜住居小学校に登校していた生徒・児童約600人は全員助かりました。いわゆる『釜石の奇跡』です。中学生が小学生の手を引き、あらかじめ決められていた避難場所よりも高いところまで自分たちの判断で逃げた。『津波てんでんこ』の教えが活きた事例です」(藻谷氏)

 

[大槌町]
海に沿って広がる街を全面的にかさ上げ工事

 さらに北上して大槌町に入ると、一帯でかさ上げ工事が進められていた。風が吹くたびに砂埃が舞い上がる。

 そんな中に、旧大槌町役場が廃墟になって残されている。町長以下、40人の職員が津波に流された現場だ。これにより、大槌町の行政機能は麻痺することになった。

廃墟になって残されている旧大槌町役場。

「逃げなかったのは、巨大な防潮堤を過信していたからでしょう。この辺りは津波に洗われたあとに火が出て、写真で見る終戦直後の焼け野原のような光景になりました。

 大槌は釜石との合併の話があったのですが、昔からの漁師の街である大槌と新しい街である釜石とでは気風が違うこともあり、実現しませんでした。もし実現していたら、町役場の職員の命も失われず、行政の機能も麻痺しなかったかもしれません。

 しかし、他の被災地を見ると、合併して自治体の中心地域ではなくなってしまったところでは、支援も報道も後手後手にまわった傾向があります。どちらがよかったのか、今から言っても仕方がありませんが」(藻谷氏)

 街を復興するには、かさ上げの他に、高台移転をするという方法もある。藻谷氏は、手頃な高台がある場所では、かさ上げよりも高台移転をするべきだと考えている。

「かさ上げについては北海道奥尻町の失敗例があります。1993年の北海道南西沖地震のあと、莫大な費用をかけてかさ上げ工事をした結果、財政が圧迫され、特産品を活かした振興策などに手が着けられず、今や消滅可能性自治体の全国第4位となってしまっているのです。大槌が奥尻の二の舞にならないか、気がかりです。

 ただ、大槌は海岸線に沿って広がる街で、背後は切り立った山地になっており、移転できる高台が乏しいのも確かですから、どうするべきかは難しい問題。地形や、釜石のように被災しなかった空き家が多くあるかどうかなど、それぞれの街の条件に合わせた最適な方法を考えるべきでしょう」(藻谷氏)

旧大槌町役場周辺で行なわれているかさ上げ工事。奥の高台に、津波に流されずに残った墓地が見える。

 

[大船渡市旧三陸町]
明治三陸地震を教訓にした高台移転で大きな被害を免れる

 バスは釜石市中心部へと戻り、いったん下車。釜石駅から三陸鉄道南リアス線(南三陸鉄道)に乗って、大船渡市にある終着・盛駅を目指す。貸し切った車両はクウェート政府からの支援で購入されたものだ。

クウェート政府からの支援で購入された南三陸鉄道の車両の中で講演す る藻谷氏。

 釜石駅を出発すると、トンネルが断続的に続き、その切れ間に集落が点在するのが車窓から望める。

著者紹介

藻谷浩介(もたに・こうすけ)

〔株〕日本総合研究所主席研究員

1964年、山口県生まれ。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)、米国コロンビア大学留学などを経て、現職。2000年頃より地域振興について研究・調査・講演を行なう。10年に刊行した『デフレの正体』(角川新書)がベストセラーとなる。13年に刊行した『里山資本主義』(NHK広島取材班との共著/角川新書)で新書大賞2014を受賞。14年、対話集『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社)を刊行。

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